リカちゃん(2代目・ニューリカちゃん)

カテゴリ
おもちゃ
発売年
1972年
メーカー
タカラ(現・タカラトミー)

どんな商品?

タカラ(現・タカラトミー)が1967年に発売した「リカちゃん」は、1972年に2代目(通称ニューリカちゃん)へモデルチェンジされました。瞳の星の数が増えるなど顔立ちが変更され、白いバラのヘアピンが付属しました。※本商品は1972年発売の2代目モデルであり、1967年発売の初代とは異なります。

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「日本の家に合う人形を」という原点

タカラ(現・タカラトミー)公式によれば、1966年当時、着せ替え人形市場では海外製の人形が主流で、そのサイズに合わせたドールハウスを日本向けに企画しようとしたところ、ハウス自体が相当大きくなってしまうことが分かったといいます。日本の住宅事情や子どもの持ち運びには合わない―そう判断されたことから、企画は根本から見直され、日本の家に合う大きさのドールハウスと、それに合わせた独自の着せ替え人形として開発されたのが「リカちゃん」でした。

海外の人形をそのまま輸入するのではなく、日本の部屋の広さから逆算して人形そのもののサイズを決めた、という発想の転換が、後の国民的人形の出発点になっていたことになります。

手のひらに収まる21cmと、日仏ハーフという設定

1967年に発売された初代リカちゃんは、女の子の手のひらに収まる大きさ(約21cm)に作られました。氏名や性格、小学生という設定まで細かく決められ、当時流行していた少女漫画のヒロインを思わせる、はかなげな表情が採用されたといいます。あわせて設定されたのが、日本人とフランス人のハーフという、当時の憧れを反映した出自でした。

初代の開発を担ったのは、後に「育ての親」と呼ばれることになる小島康宏氏(後のタカラ専務)です。発売前には、片道2時間半かけて八日市場(現・匝瑳市)の工場へ毎日通い、現場では割烹着姿の女性たち40人ほどが手伝ってくれていたというエピソードが伝えられています。1体の人形が生まれるまでに、こうした地道な現場の積み重ねがあったことになります。

1972年、2代目(ニューリカちゃん)へ

発売から5年後の1972年、リカちゃんは2代目(通称ニューリカちゃん)へとモデルチェンジされました。瞳の中の星の数が1つから3つに増やされ、眉は細長く、鼻はやや高くなるなど、顔立ちが変更されています。あわせて白いバラのヘアピンが新たに付属し、靴には「マグネットシューズ」が採用されたことで、人形が自分の足で立てるようになりました。

初代よりも少し大人びた顔立ちになり、自分の足で立てるようになった―それは、遊び方そのものが少しだけ広がったことも意味していたはずです。人形を寝かせて着せ替えるだけでなく、部屋の中に「立たせて飾る」楽しみ方も、このときから可能になったといえます。2代目は1972年から1981年ごろまでの長い期間にわたって販売され、その間もマイナーチェンジを重ねながら少しずつ姿を変えていったといいます。

「もしもし、私リカよ」―リカちゃん電話の誕生

リカちゃんの人気を象徴するエピソードのひとつが、1968年に始まった「リカちゃん電話」です。ある日、1人の女の子がタカラに「リカちゃんはいますか?」と電話をかけてきたところ、対応した社員が機転を利かせて「もしもし、私リカよ」と答えたことがきっかけだったといいます。この対応がうわさとなって広まり、反響の大きさから専用回線が開設されることになりました。

人気番組『8時だョ!全員集合』で紹介された際には、電話が殺到して回線がパンクするほどの反響があったとも伝えられています。運営方式はその後、オペレーターが直接応対する形から、録音テープでの応対へと段階的に変わっていき、現在は最初からリカちゃんの声が流れるテープ式になっているといいます。1本の悪ふざけのような電話への機転が、半世紀以上続くサービスに育っていったことになります。

「お部屋」から「家」へ―リカちゃんハウスの変化

リカちゃんの発売とほぼ同時期には、専用の「リカちゃんハウス」も登場していました。初代は「ドリームハウス」というコンセプトで、レースのカーテンやソファ・テーブルの応接セットが付き、畳むとバッグ型になるという、リカちゃん「個人の部屋」を表現したような作りだったといいます。

リカちゃんに家族が増えるにつれ、ハウスも「部屋」から「家」へと進化していきました。1971年には階段付きの屋上テラスを備えた「リカちゃんマンション」が登場し、1980年代には広いリビングやカウンターキッチンを備えた「ゆったりさん」シリーズが展開されています。2014年には住宅メーカーのパナホームとの協業により、太陽光発電やHEMS機能まで再現した「おしゃべりスマートハウス ゆったりさん」も発売されました。人形1体の暮らしを表現するハウスが、その時々の「憧れの住まい」を映す鏡のような存在になっていたことになります。

「タカラ・バービー」からジェニーへ―もう一つの人形物語

実はタカラは、リカちゃんとは別に、本家アメリカの着せ替え人形「バービー」とも深い関わりを持っていました。バービーはリカちゃんより8年早い1959年に米マテル社から発売された人形で、タカラはマテル社と提携してバービーの輸入代行販売を手がけ、1982年には製造販売のライセンスを取得しています。日本人向けに顔立ちなどを調整した「タカラ・バービー」は、17歳の高校生というファッショナブルな設定でリカちゃんとは異なる客層を狙う存在でした。

しかし1986年にライセンス契約が終了すると、タカラはこの人形を改名し、新たに「ジェニー」というブランドとして展開することになります。つまり「ジェニーは、もとはバービーだった」ことになります。11歳の小学生という親しみやすい設定のリカちゃんと、17歳で大人っぽいバービー(のちのジェニー)―タカラは自社の中に、あえて客層の異なる2つの着せ替え人形ブランドを併存させていたことになります。

「香山リカ」というフルネームの意味

リカちゃんの本名は「香山リカ」。@Living(タカラトミー協力記事)によれば、名字の「香山」は俳優・加山雄三氏の響きと、女優・香山美子氏の漢字を組み合わせたものだといいます。下の名前「リカ」は、日本語でも外国語でも発音しやすく響きがよいこと、そして当時はまだ周囲にあまりいない珍しい名前だったことから選ばれたとされています。

人形にフルネームを与え、名字にまで由来を仕込む―この作り込みの細かさが、のちの「リカちゃん電話」や「リカちゃんハウス」のように、人形をまるで実在の人物として扱う世界観の土台になっていたのかもしれません。

55年の時を経て、2026年にアメリカへ

タカラトミー公式によれば、リカちゃんは2026年3月下旬から北米市場での本格展開を開始しました。英語版公式サイト「licca-doll.com」とInstagram公式アカウントを新たに開設し、第一弾としてマイメロディやクロミ、『葬送のフリーレン』とのコラボレーションドールに加え、着物や学生服姿の「日本らしさ」を打ち出したドールなど計10商品を投入。BoxLunchやHOT TOPIC、MINISOなど全米の店舗で発売されています(価格帯は24.99〜29.99ドル)。

1967年、「日本の部屋に合う人形を」という発想から国内向けに生まれたリカちゃんが、半世紀以上を経て今度は「日本らしさ」そのものを売りに海を渡ることになった―この巡り合わせは、なんとも感慨深いものがあります。

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出典

本文は公開情報をもとに独自にまとめています。