
画像:Evan-Amos / Wikimedia Commons / Public Domain
どんな商品?
任天堂が1989年に発売した携帯型ゲーム機。乾電池で動作し、外出先にも持ち出して遊べる仕組みを採用しました。
発売当時あなたは何歳?
「ゲーム&ウオッチの次」を目指した開発
携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」の生みの親といわれるのが、任天堂の横井軍平氏です。ASCII.jpの記事によれば、横井氏は「ゲーム&ウオッチ」の開発でも知られ、限られた技術をいかに面白く使うかという「枯れた技術の水平思考」という考え方を持っていたとされています。最新の高性能チップを追いかけるのではなく、すでに安く安定して手に入る技術を、誰も思いつかない使い方で生かす―そんな発想が、後のゲームボーイにも受け継がれていくことになります。
開発初期には、任天堂社内で構想をめぐる意見の対立があったことが、開発スタッフだった岡田智氏のインタビューで語られています。ソフトを本体とは別に用意する「持ち歩けるファミコン」のような構想と、ゲーム&ウオッチのように本体内蔵のソフトだけで遊ぶ構想との間で意見が分かれ、岡田氏は「大喧嘩になって」横井氏の意見に「聞けません」と返したと振り返っています。最終的には、当時の社長・山内溥氏に「これは1年で作るのではなく、2年3年かけて下地ができてから販売したほうがいい」と提案し、了承を得たといいます。売れそうな企画をすぐ形にするのではなく、まず土台から時間をかけて固めるという判断が、のちのロングセラーにつながったのかもしれません。
電池寿命へのこだわりと、新幹線で確かめた電池持ち
岡田氏のインタビューによれば、携帯ゲーム機にとって最も重要な要素は電池寿命だと考えられており、横井氏の指示で、東京・京都間を新幹線で往復する約6時間遊び続けられる電池持ちが目標に設定されたといいます。家の外に持ち出して遊べることを売りにする以上、電池が切れて画面が真っ暗になってしまっては本末転倒だという、携帯機ならではの切実な事情がうかがえます。
液晶画面の開発では、シャープとシチズンの技術を比較しながら仕様を詰めていきました。当時の社長・山内氏から画面の視野角について「見えないやないか。売れるわけないやろ」という指摘を受け、表示方式を見直すなど、細部にわたる調整が重ねられたと岡田氏は語っています。発売してから「見づらい」と言われるのではなく、商品化の前に実際の見え方まで厳しく確認する工程があったことがうかがえます。
1989年4月21日、携帯型で複数のソフトを楽しめる機種として発売
こうした構想を経て、「ゲームボーイ」は1989年4月21日に発売されました。日本経済新聞の報道によれば、1980年発売の「ゲーム&ウオッチ」が1台の端末につき1つのゲームしか遊べなかったのに対し、ゲームボーイはソフトを入れ替えることで複数のタイトルを遊べる携帯機として登場しました。単3形の乾電池で動作し、外出先へ持ち出して遊べることが大きな特徴でした。テレビの前に座らなくても、公園でも電車の中でも好きなソフトを選んで遊べるという体験そのものが、それまでの家庭用ゲーム機にはなかった自由さだったといえます。

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通信ケーブルが可能にした、友達との対戦
ゲームボーイのもう一つの特徴が、本体同士をつないで遊べる通信ケーブルです。岡田氏によれば、液晶とあわせて売り込まれたシャープ製のマイコンに簡単な通信機能が備わっていたことがきっかけで、対戦ゲームに使えないかと考えたといいます。社内では「プログラムが難しいんで、通信なんてできるわけない」という反対の声もあったものの、岡田氏自身が対戦用のライブラリを開発し、実現にこぎつけました。1本のケーブルさえあれば、友達同士で本体を持ち寄って対戦できる―そんな遊び方が生まれたのも、この地道な開発があったからこそでした。
発売時のソフトと『テトリス』の大ヒット
発売と同時に登場したソフトのひとつが『スーパーマリオランド』でした。そして1989年6月14日には、任天堂から『テトリス』が発売されます。ファミ通の記事によれば、プロデューサーはゲームボーイ本体の開発にも携わった横井軍平氏、ディレクターは岡田智氏が務め、通信ケーブルを使った対戦モードを初めて搭載したことで「爆発的なヒットを記録し、ゲームボーイ本体の普及にも大きく貢献した」といいます。販売本数は約424万本にのぼり、ゲームボーイ用ソフトの中でも単体トップクラスの売り上げとなりました。一人で黙々と積み上げるパズルだった『テトリス』が、通信ケーブル1本で友達と競い合うゲームに変わった瞬間、ゲームボーイの携帯機としての強みが最大限に生きたともいえそうです。
その後の携帯ゲーム機の系譜
ゲームボーイという機種そのものは、その後カラー画面を搭載した「ゲームボーイカラー」などの後継機に道を譲りました。しかし、携帯型で遊ぶという任天堂のゲーム機の系譜は、「ファミリーコンピュータ」から続く据え置き機とは別の流れとして、その後のニンテンドーDSなどにつながっていきました。カバンの中に1台入れておけば、いつでもどこでも遊べる―そんな当たり前になった感覚の原点のひとつは、この小さな灰色の本体にあるといえそうです。
発売当時の価格と、その後の生涯出荷台数
「ゲームボーイ」の発売当時の価格は、GAME Watchの記事によれば12,500円(当時の消費税3%込)でした。1989年4月21日、この価格で店頭に並んだことになります。
同じくGAME Watchの記事では、ゲームボーイは「ゲームボーイポケット」「ゲームボーイカラー」といった後継機種も含めた累計で、2023年12月末時点で全世界1億1869万台を売り上げたと紹介されています。これは初代機単体の数字ではなく、そこから続くシリーズ全体の実績である点には注意が必要ですが、1台の携帯ゲーム機として始まった「小さな灰色の本体」が、30年以上をかけてこれほどの台数を積み重ねたという事実は、その息の長さを物語っているといえそうです。
