花札とは?世界的ゲーム会社・任天堂の原点をたどる
公開日:2026年9月6日

※AIによるイメージ画像です
祖父母の家で、月ごとに描かれた美しい絵柄のカードを使って遊んだ記憶はありませんか。
「花札」というこの伝統的なカードゲームが、実は世界的なゲーム会社・任天堂の原点だったという話を、任天堂公式などの資料をもとに詳しくたどります。所持禁止だった時代から海を渡ったハワイの花札まで、意外な広がりも合わせて紹介します。
花札とは?月ごとの花や草木が描かれた48枚のカード
任天堂公式サイトによれば、花札は日本かるたの一種で「花かるた」とも呼ばれ、48枚の札には1月から12月までの折々の花や草木が各月4枚ずつ描かれています。個々の札に点数があるだけでなく、複数の札を組み合わせた「役」にも点数が付けられているのが特徴で、絵柄の美しさと遊びの奥深さを両立させたカードといえます。
安土・桃山時代から続く、日本のかるた文化
同サイトによれば、花札の歴史は古く、安土・桃山時代の「天正かるた」、江戸時代前期の「ウンスンカルタ」を経て、江戸時代中期に現在使われている花札ができたとされています。長い時間をかけて形を変えながら、日本独自のかるた文化として受け継がれてきたことがうかがえます。
1889年、京都で花札の製造から始まった任天堂
任天堂公式「会社の沿革」によれば、任天堂は1889年(明治22年)、山内房治郎が京都市下京区で花札の製造を始めたことに始まります。現在は世界的なゲーム会社として知られる任天堂だが、最初の事業は花札の製造だったというのは、意外と知られていない事実かもしれません。同社の沿革によれば、その後1902年には日本初のトランプ製造にも着手し、1947年には株式会社丸福(現・任天堂株式会社)を設立しています。
日経ビジネス電子版の記事によれば、当時の花札は賭け事の場でも使われており、札の品質(色むら・キズ・張りむらのなさ)が非常に重視される商品でした。房治郎はこの品質にこだわって優れた花札を作り上げ、最高品質の商品には「大統領」というブランド名を付けて売り出したといいます。この「大統領」ブランドは同記事で「任天堂のドル箱」になったと紹介されており、品質を武器に他社と差別化したことが、創業間もない任天堂を支える大きな柱になったことがわかります。
同記事によれば、1902年に花札への課税が始まり業界全体が打撃を受けると、任天堂はそれまで輸入品に頼っていたトランプの国産化に踏み切りました。さらに、当時すでに全国に広がっていたたばこ屋の販売網を活用して販路を拡大し、花札という一商品にとどまらない全国市場を切り開いていったといいます。1つの商品が課税という逆風を受けたとき、それを新しい事業への転換のきっかけに変えたという経緯は、任天堂という会社の「原点」を語るうえで欠かせないエピソードといえるでしょう。
出典:任天堂公式「会社情報:会社の沿革」/日経ビジネス電子版「花札から始まった任天堂 独自の事業展開で急成長、新規市場も開拓」
跡継ぎのいなかった房治郎。婿養子が継いだ2代目
Wikipediaの解説によれば、創業者の山内房治郎には男児がなく、1907年、従業員だった金田弥兵衛の次男・積良を、長女の婿養子として迎え入れたとされています。金田家から山内家に入った積良は、1929年に山内房治郎商店の2代目店主に就任し、家督を相続して花札製造業をさらに発展させたといいます。血縁ではなく能力を重んじて後継者を選んだことになります。
同解説によれば、積良は1933年に「合名会社山内任天堂」を設立し、本社を移転して生産機構の合理化と経営効率の改善を進めたとされています。創業者一族の男児ではなく、優秀な従業員を婿養子として迎えて事業を継がせるという判断が、任天堂の初期の経営基盤を固める重要な転機になったことがわかります。
日経ビジネス電子版の記事でも、積良が「最も優秀な従業員」として婿養子に迎えられ2代目店主になったという経緯が独立して紹介されており、1933年には手狭になった木造の本店を、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りに改築したとされています。同記事によれば、花札やトランプの海外輸出は無税だったため利益が大きく、この資金を元手に不動産事業にも進出していったといいます。なお、積良が婿養子として迎えられた年については、この記事では1929年、Wikipediaでは1907年と、資料によって異なる年が示されており、正確な年は確定できていません。
出典:Wikipedia「山内積良」/日経ビジネス電子版「花札から始まった任天堂 独自の事業展開で急成長、新規市場も開拓」
移民とともに海を渡った花札。ハワイでは「熊本風」に
日本かるた文化館の解説によれば、花札は日本からハワイへの移民の増加とともに海を渡り、熊本県出身の移民が多かったことから、ハワイの花札の遊び方は熊本の地方ルールに基づいたものになったとされています。同じ花札でも、伝わった先の移民の出身地によって、遊び方そのものが変化していったことがうかがえます。
同解説によれば、大正期(1912〜1926年)にはホノルル市に「文明堂」というカルタ屋が営業し、日本国内で下請け制作させた花札を現地で販売していたといいます。花札という商品そのものが、日本国内の製造網と海外の日系コミュニティを結びつける役割も果たしていたことになります。任天堂が国内でトランプの国産化に踏み切っていたのと同じ時期に、花札そのものは海の向こうで移民たちの手によって独自の遊び方に育っていたという、もう一つの広がり方があったことになります。
松に鶴、萩に猪。12ヶ月の絵柄に込められた花鳥風月
花札の48枚は、1月から12月までの季節を象徴する植物と、それに組み合わされる鳥や動物、道具などが描かれた「花鳥風月」の図案で構成されています。1月の松には鶴が描かれ、「鶴は千年、亀は万年」といわれる長寿の象徴である鶴と、一年中緑を保つ松という、ともにおめでたさを表す組み合わせになっています。
7月の萩には猪が描かれますが、萩は旧暦7月ごろに見頃を迎える秋の植物で、猪は「猪突猛進」という言葉にも表れる力強さの象徴とされています。こうした組み合わせは、単なる装飾ではなく、季節の風物や古くからの言い伝えを踏まえたうえで選ばれているといわれています。月ごとに違う花と生き物の組み合わせを覚えていくことも、花札という遊びのもう一つの楽しみ方だったといえるでしょう。
「五光」「猪鹿蝶」。役という名の得点ルール
花札の代表的な遊び方「こいこい」では、手元に集めた札の組み合わせによって「役」が成立し、役の数だけ得点が入ります。役が成立した時点で勝負を終えるか、さらに続けて役を増やす「こいこい」を宣言するかを選べる、という駆け引きの要素も持つ遊び方です。
サザノノの解説によれば、最も点数の高い光札を5枚すべて集める「五光」は10文、4枚の「四光」は8文、猪・鹿・蝶が描かれた札をそろえる「猪鹿蝶」は5文とされています。光札による役は五光から三光まで重複せず、一番強い役だけが成立する一方、猪鹿蝶などの役は同じ札でも重複して成立させられるという細かなルールもあるといいます。月ごとの絵柄を覚えるだけでなく、役という得点の仕組みを理解することが、こいこいを楽しむもう一つの奥深さになっています。
任天堂が伝える、初心者にもやさしい遊び方
任天堂公式サイトでは、本格的な「花合わせ」のほか、「こいこい」や「八八(はちはち)」といった複数の遊び方が紹介されています。従来の遊び方を簡略化したオリジナル版も用意されており、使う札を8か月分に減らして初心者でも遊びやすくした入門編から、全12か月を使う応用編まで段階を踏んで楽しめるよう工夫されているといいます。

所持禁止から骨牌税へ。花札にまつわる法律の歴史
Wikipediaの解説によれば、花札は明治のごく初期には1881年12月31日まで所持そのものが禁止されており、1902年には製造業者に収入印紙の購入を義務づける「骨牌税」が制定されたとされています。かつては賭博の道具として扱われた時期があったことが、こうした厳しい規制の背景にあったと考えられます。任天堂が創業した1889年は、所持禁止が解かれてすでに8年ほどが経ち、花札という商品を製造・販売できる環境が整ってからのことだったという時代背景も見えてきます。
同解説によれば、その後は1957年にトランプ類税法が施行され、1989年の消費税導入にともなって廃止されたとされています。所持禁止という厳しい規制から、税を課したうえで製造・販売を認める形へ、そして消費税という一般的な税制へ吸収される形へと、花札にまつわる法律の位置づけは長い時間をかけて変わっていったことがわかります。約100年以上にわたって、花札は税制の歴史そのものにも名前を残す存在だったのです。
手摺りの伝統、途絶えてはまた復活する
Wikipediaの解説によれば、花札の表面の絵付けは1950年までに機械印刷が普及し、それまでの「合羽摺り」という型染めの伝統製法は一度廃止されたとされています。しかし1975年には松井天狗堂がこの手摺り製法を復活させ、伝統的な作り方を守る取り組みが続けられました。
同解説によれば、松井天狗堂は2016年に当主が死去したことで手摺り花札の製造が一度途絶えたものの、2020年には鈴木天狗堂がネット販売を通じて手摺り花札を復活させたとされています。機械印刷という効率的な製法が主流になったあとも、手作業の技術そのものを絶やさないようにする動きが、途切れながらも今日まで続いていることがわかります。任天堂が量産品としての花札を作り続ける一方で、こうした少数の職人が手作業の技術を継承しているという、二つの異なる形の「残し方」が今も並び立っています。
ゲーム会社になった今も、花札を作り続けている
任天堂公式の商品ページによれば、ファミリーコンピュータやゲームボーイで世界的なゲーム会社となった任天堂は、今も花札・株札の製造販売を続けています。ラインアップには「大統領」「福天狗」「都の花」といった伝統的な銘柄に加え、赤・黒の2色展開で「マリオ花札」も販売されています。自社の代表キャラクターであるマリオを、会社の原点である花札にあしらった商品を作り続けているという事実は、任天堂にとって花札が単なる過去の一事業ではなく、今も現役のブランドの一つであり続けていることを示しています。
Wikipediaの解説によれば、この「マリオ花札」は2003年にクラブニンテンドーのポイント景品として最初に製造され、2015年になって一般向けに商品化されたとされています。会員向けの非売品として生まれたものが、10年余りをかけて誰でも買える商品へと育っていったことになります。
ゲーム機の会社として知られるようになったあとも、創業時の事業そのものを廃業せずに残し、しかも自社の看板キャラクターと組み合わせた新商品まで生み出しているという点は、「原点を大切にする」という姿勢が単なる社史上のエピソードにとどまらず、今の商品展開にまで受け継がれていることを表しているといえるでしょう。
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学校・地域・年代によって内容は異なります。あなたの記憶と重なるものはありますか?
- 花札で遊んだ記憶はありますか?
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出典・注意事項
本ページは、任天堂公式サイトの「歴史・遊びかた|花札・株札」および「会社の沿革」をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。花札は伝統的なカードゲームとしての側面を中心に紹介しており、賭博性については扱っていません。
ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。