電気こたつの前は何を使っていた?火鉢と練炭こたつの記憶

公開日:2026年9月10日 更新日:2026年9月12日

昭和の和室で、家族が火鉢を囲んで暖を取る場面のイメージ画像です。特定の人物・企業の再現ではありません。

※AIによるイメージ画像です

スイッチひとつで暖まる電気こたつが当たり前になる前、家庭の暖を取る方法は、木炭や練炭の火そのものでした。灰を敷き、炭をおこし、火加減を気にしながら過ごす。今とはまったく違う「暖まり方」がそこにはありました。

火鉢からこたつへ、そして練炭から電気へ。燃料も、暖める範囲も、安全性も、少しずつ形を変えながら移り変わってきた家庭暖房の歴史をたどります。

火鉢とこたつ、暖房の原点

電気もガスもなかった時代、家庭の暖房は木炭の熱を直接使うことから始まりました。その代表格が「火鉢(ひばち)」と「こたつ」です。この2つの道具は、時代とともに姿を変えながら、長く日本の冬の暮らしを支えてきました。

火鉢に手をかざして暖を取る場面のイメージ画像です。特定の人物・企業の再現ではありません。
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

灰と炭で暖を取る、火鉢の仕組み

コトバンクによれば、火鉢は陶器や金属、木などでつくられた入れ物に灰を敷き、その中央で木炭を燃やして暖を取る、平安時代にまでさかのぼるとされる伝統的な暖房道具です。

ヒバチヤの解説によれば、使うときはまず灰を厚さ10センチほど敷き詰めて断熱材とし、中央に炭を置く台である「五徳(ごとく)」を据え、炭に火をつけて使うという手順が基本でした。ただし火鉢はあくまで「手あぶり」用の道具であり、部屋全体を暖める力はなかったとされています。

五徳の上にやかんや土瓶を乗せてお湯を沸かすこともでき、暖を取りながら湯を沸かすという、一台二役の道具でもありました。

水巻町歴史資料館の資料によれば、引き出しや広い縁を備えた長火鉢の中には「銅壺(どうこ)」と呼ばれる湯沸かし器具を組み込んだものもあり、来客があればすぐにお湯を沸かしたり、酒の燗をつけたりできたとされています。火鉢は暖を取るだけの道具ではなく、ちょっとした台所仕事までこなせる、家庭の中心に置かれる家具でもあったのです。

炭専門商社の増田屋によれば、火を消すときは灰をかぶせて空気を遮断してゆっくり消す方法や、長時間家を空ける際には「火消し壺」に炭を移して密閉する方法があり、こうして消した「消し炭」は次に火をおこす際の火種として再利用できたとされています。

炭を使い切りにせず、消してからまた次の着火に活かすという工夫は、限られた燃料を無駄なく使うための、当時ならではの知恵だったといえます。

出典:コトバンク「火鉢(ヒバチ)とは?」/ヒバチヤ「まるで火鉢の教科書!百年先まで使える」/増田屋「火の熾し方・消し方」/水巻町歴史資料館「火鉢(箱)」

唐銅火鉢から長火鉢まで、素材と形のいろいろ

火鉢は素材や形によって、いくつもの種類に分かれていました。

アンティーク家具ラフジュ工房によれば、真鍮や銅でつくられた金属製の火鉢は、かつて真鍮や銅を「唐金(からかね)」と呼んでいたことから「唐金火鉢」とも呼ばれ、質の高いものには繊細な彫刻が施されていたとされています。

那須烏山市のデジタル博物館によれば、陶器でつくられた火鉢も、金属製・木製と並ぶ代表的な素材のひとつで、灰を入れて炭火の熱をやわらげながら暖を取ったり、お湯を沸かしたりするための道具として使われていたとされています。

木製の火鉢にも、丸太をくり抜いた「くりぬき火鉢」、四角い箱型の「箱火鉢(角火鉢)」など、いくつもの形があったとされています。

中でも「長火鉢」は、引き出しと「猫板」と呼ばれる板を備えた箱型の暖房家具で、関東と関西とで形が異なり、関東長火鉢はすっきりとした長方形、関西長火鉢は炉の周りに広めの天板を持ち、簡単な食事やお茶も楽しめるつくりだったとされています。

猫板という名前は、暖かい火鉢のそばで猫が暖を取っていたことに由来するとされ、家庭の中の火鉢が、人だけでなく猫にとっても居心地のよい場所になっていたことがうかがえます。

素材や形が家によって異なっていたということは、火鉢が単なる暖房器具ではなく、家庭ごとの好みや家計に応じて選ばれる、生活道具のひとつでもあったことを示しているといえます。

出典:アンティーク家具ラフジュ工房「火鉢とは」/那須烏山市デジタル博物館「火鉢(陶器)」

室町時代に生まれた、こたつの原型

和のすてきの記事によれば、こたつの原型は室町時代に誕生したとされ、囲炉裏(いろり)の中で消えかけた炭火(おき)に灰をかぶせ、その上に足のついた台を置いて衣服をかぶせるという素朴な仕組みだったと伝えられています。部屋全体を暖める火鉢とは違い、足元だけを局所的に暖めるという、こたつならではの発想がこの時代からすでに存在していたことになります。

灰の中に埋めた炭火の余熱を利用するという、燃料を無駄にしない工夫が、こたつという道具の出発点だったといえます。

出典:和のすてき「『こたつ』の季節がやってきた〜歴史編〜」

いつまで使われ、なぜ姿を消していったのか

これだけ暮らしに根づいていた火鉢は、いつ頃まで使われていたのでしょうか。

杉並区の公式サイト「すぎなみ学倶楽部」が紹介する、大正11年生まれの女性1人への個別の聞き取りによれば、この方の家庭では戦前から昭和30年頃まで、暖房の燃料はずっと木炭だったと振り返られています。杉並区全体や全国的な傾向を示す統計ではなく、あくまで1つの家庭の記憶として紹介されている内容です。

同じ聞き取りによれば、この家庭では台所でガスコンロが比較的早い時期から使われるようになった一方、暖房用の火鉢だけは木炭のままの生活がしばらく続き、昭和41年(1966年)にガス風呂へ切り替えた際には、お湯の質の違いに驚いたというエピソードも語られています。

台所の燃料が先にガスへ切り替わり、暖房の木炭だけがしばらく家庭に残っていたというこの証言は、燃料の転換が家の中で一律には進まなかったことを示す一つの例だといえます。杉並区や日本全体で同じ時期に火鉢が姿を消したことまでを示すものではありません。

同区の資料によれば、この聞き取りで語られた当時の火鉢は、今では杉並区立郷土博物館などに資料として保存されており、暖房器具としてではなく、地域の暮らしを伝える民俗資料としてその姿を残しているとされています。

出典:杉並区公式サイト「すぎなみ学倶楽部」火鉢

江戸から明治へ、多様化するこたつ

和のすてきの記事によれば、江戸時代に入ると、木の枠(やぐら)を組んで熱源を囲う「やぐらこたつ」が登場し、そこから「腰掛けごたつ」「切りごたつ」など、地域や家の造りに応じた多様な形が生まれていきました。

火鉢とやぐらを組み合わせた持ち運びできるこたつも作られ、江戸時代の終わり頃には木製の囲いを使った、より現在のこたつに近い形へと改良が進んでいったとされています。

さらに明治時代には、床を掘り下げて熱源を置く「掘りごたつ」が一般家庭にも現れるようになりました。

イギリス人陶芸家のバーナード・リーチが、正座の姿勢がつらいという事情から、足を伸ばして座れるこたつを求めて考案に関わったという説も伝えられており、座り方の工夫がこたつの形そのものを変えていった例だといえます。

コトバンクの解説によれば、床の上にやぐらを組むだけのこたつに対し、床を掘り込む掘りごたつは椅子に腰かけるのと同じ姿勢で足を伸ばして使えるため、正座に比べて疲れにくいという違いがあったとされています。同じ熱源を囲むこたつでも、掘るか掘らないかで、座り方そのものが違っていたことになります。

出典:和のすてき「『こたつ』の季節がやってきた〜歴史編〜」/コトバンク「掘りごたつ(ほりごたつ)とは?」

練炭・豆炭こたつの時代

昭和に入ると、こたつの熱源は木炭から、木炭を粉状にして固めた「豆炭(まめたん)」や、石炭を粉末にして成形した「練炭(れんたん)」へと移り変わっていきました。

和のすてきの記事によれば、昭和中期から後期にかけて、豆炭をテーブルの下に取り付けて使う「豆炭ごたつ」が広く使われるようになったとされています。

一般社団法人日本煉炭工業会によれば、練炭・豆炭はいずれも無煙炭を主原料とした固形燃料で、1個あたり7〜24時間程度、安定した温度で燃え続けるという特長があったとされています。同工業会はこの燃焼時間を練炭・豆炭で使い分けず、両者に共通する特長として説明しています。豆炭こたつでは、豆炭をガラスウールで包んで燃やす「燃焼器」がやぐらの上部に取り付けられ、通風口を開け閉めすることで火の強さを調節する仕組みだったとされています。

練炭は木炭に比べて一酸化炭素の発生量が多いという特性があり、練炭こたつに入ったまま眠り込んでしまうと、頭痛やめまい、吐き気といった一酸化炭素中毒の症状につながる危険があったと指摘されています。

東京都生活文化局消費生活部が行った商品テストによれば、6畳程度の室内で木炭や練炭を燃焼させた実験では、一酸化炭素濃度が800ppm以上という、長時間吸い込むと危険な水準に達したことが確認されています。この数値は、あくまで同テストの条件下での測定結果であり、換気扇などで強制的に換気すれば100ppm以下まで抑えられるものの、その分だけ部屋の暖かさも大きく失われてしまうとされています。日本煉炭工業会も、閉め切った部屋での長時間使用は一酸化炭素中毒の危険があるとして、1時間に2回程度の換気を呼びかけています。

火の暖かさと引き換えに、常に換気や取り扱いへの注意が必要な暖房でもありました。

出典:和のすてき「『こたつ』の季節がやってきた〜歴史編〜」/一般社団法人日本煉炭工業会「煉炭・豆炭とは」/東京都生活文化局消費生活部「発電機・木炭等による一酸化炭素中毒の危険性」

昭和の和室で、家族が練炭こたつを囲んで団らんする場面のイメージ画像です。特定の人物・企業の再現ではありません。
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

電気こたつがもたらした安全性

電気を使ったこたつの歴史は、意外に古くまでさかのぼります。

一般社団法人家庭電気文化会によれば、電気こたつ用のヒーターは大正13年(1924年)にはすでに発売されており、その後、昭和32年(1957年)にやぐら式の電気こたつが本格的に商品化され、昭和35年(1960年)以降は赤外線ランプ式のヒーターが登場して、やぐらこたつの主流になっていったとされています。

和のすてきの記事によれば、戦後になるとこうした電気こたつが家庭に広く普及していきました。

電気こたつの登場によって、火事や火傷、そして一酸化炭素中毒の危険性から解放され、暖房としての安全性が大きく向上したと伝えられています。

火を使わずスイッチひとつで暖が取れるようになったことは、便利さだけでなく、練炭・豆炭こたつにつきまとっていた命に関わる危険を取り除いたという点で、家庭の暖房史における大きな転換点だったといえます。

ヒーターという新しい熱源が発明されてから、実際に多くの家庭に広まるまでには30年以上の年月がかかったことになり、新しい暖房器具が定着するまでには相応の時間を要したことがうかがえます。

出典:一般社団法人家庭電気文化会「家電の昭和史 こたつ」/和のすてき「『こたつ』の季節がやってきた〜歴史編〜」

火鉢からエアコンまで、暖房はどう変わったのか

ここまで見てきた火鉢・こたつの移り変わりを、あらためて燃料・暖める範囲・使い方・安全性という4つの軸で並べてみると、家庭暖房がどう変わってきたかが見えてきます。

燃料は、火鉢の木炭から、こたつの豆炭・練炭、そして電気へと移り変わりました。暖める範囲は、火鉢が手をかざす「手あぶり」用だったのに対し、こたつは室町時代の原型からずっと、足元だけを局所的に暖める道具であり続けています。電気こたつになっても、この局所暖房という基本の発想そのものは変わりませんでした。

使い方の面では、火鉢は灰を敷いて炭をおこし、消し炭にして再利用するという手間が必要で、豆炭こたつも燃焼器に豆炭を入れ、通風口で火力を調節するという扱いが求められました。電気こたつになって初めて、こうした火の管理そのものが、スイッチひとつで済むようになったのです。

そして安全性は、4つの軸の中でもとりわけ大きく変わった点です。木炭・練炭の火は、暖かさと引き換えに、不完全燃焼による一酸化炭素中毒という命に関わるリスクを常にはらんでいました。電気こたつは、この火そのものを暖房から切り離した点で、他の3つの軸とは性質の異なる変化だったといえます。

現在主流のエアコンや石油・ガスストーブの多くは、こたつや火鉢のように1か所だけを暖めるのではなく、部屋全体を暖めることを基本としています。手元だけを暖める道具から、部屋そのものを暖める道具へ。日本の家庭暖房は、大きく姿を変えてきたことになります。

部屋全体ではなく、そこだけを暖める暮らし方

火鉢からこたつ、練炭から電気へと熱源は変わっても、日本の冬の暖房には共通する発想がありました。それは、部屋全体を暖めるのではなく、人が集まる場所だけを局所的に暖めるという考え方です。

こたつに家族が集まり、みかんを片手にテレビを見る。火鉢を囲んで手をかざしながら会話をする。暖房器具そのものが、家族が自然と顔を合わせる場所になっていたことも、こうした局所暖房ならではの光景だったといえます。

JBpressの記事によれば、冬の食卓に温州みかんが箱ごと並び、こたつのそばにみかんかごが置かれているのはかつてのありふれた光景で、みかんの生産量は1970年代に比べて現在は5分の1程度にまで減っているとされています。

こたつとみかんという組み合わせも、部屋全体ではなく1か所に人と物が集まる、局所暖房ならではの暮らし方が生んだ光景のひとつだったといえます。

出典:JBpress「『こたつでミカン』の光景はなぜ生まれたのか」

炭の匂いと、こたつの温もりの記憶

火鉢に手をかざしたときのじんわりとした熱、練炭やガスの独特な匂い、こたつに足を入れた瞬間のほっとする温かさ。今のエアコンやパネルヒーターとは違う、直接火や熱源に触れているという実感があった暖房でした。

部屋の隅々まで暖かい今の住まいとは違い、こたつや火鉢の周りにだけ人が寄り集まっていた光景は、暖かさが限られていたからこそ生まれた、家族の距離の近さの記憶でもあります。

朝、火鉢に炭を足しに行く役目や、こたつのスイッチを入れる係が、いつの間にか家庭内で決まっていたという記憶がある人もいるかもしれません。

冷たい布団に入る前に、こたつでできるだけ長く過ごそうとした夜の記憶も、多くの人に共通する冬の思い出のひとつではないでしょうか。

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出典・注意事項

本ページは、和のすてき、ヒバチヤ、コトバンク、アンティーク家具ラフジュ工房、一般社団法人家庭電気文化会、増田屋、JBpress、杉並区公式サイト「すぎなみ学倶楽部」、那須烏山市デジタル博物館、水巻町歴史資料館、東京都生活文化局消費生活部、一般社団法人日本煉炭工業会の記事・資料をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。一酸化炭素中毒等の安全性に関する記述は、当時のリスクとして扱う情報であり、現在の製品・基準を評価するものではありません。

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