蚊帳(かや)とは?網戸のなかった時代の夏の寝室の記憶
公開日:2026年9月10日 更新日:2026年9月12日

※AIによるイメージ画像です
夏の夜、部屋の四隅から吊るされた緑色の網が、家族の寝床をすっぽりと覆っていた時代がありました。
「蚊帳(かや)」と呼ばれるこの道具が、いつから庶民の暮らしに広まり、どのように使われ、なぜ姿を消していったのかをたどります。
蚊帳とは?寝床を覆う網の道具
四隅から吊るされた網の中は、家の中にもうひとつ小さな部屋ができたような、不思議な空間でした。蚊帳とは、目の細かい網を四角いテントのような形に縫い合わせ、寝床の上に吊るして虫の侵入を防ぐための道具です。エアコンも網戸も一般的でなかった時代、夏の夜に窓を開け放って眠るための、なくてはならない道具のひとつでした。
1mmの網目が、風を通し虫を防ぐ
中川政七商店の読みものによれば、蚊帳はおよそ1ミリメートル四方の網目で編まれており、この目の細かさによって、風は通しながら蚊などの虫の侵入は防ぐという仕組みになっているとされています。同記事によれば、蚊帳の素材は古くは絹や麻が中心で、明治時代になると木綿の蚊帳も使われるようになり、現代ではナイロンなどの化学繊維も使われるようになったとされています。
エアコンのない時代、窓を開け放って寝るのが当たり前だったからこそ、風を通しながら虫だけを防ぐという工夫が欠かせなかったと考えられます。
網目が粗すぎれば虫が入り込み、細かすぎれば風が通らなくなるため、1ミリメートルという寸法は、両方の条件を満たすためのぎりぎりの折り合いだったといえます。
江戸時代、蚊帳売りが庶民の間に広めた
蚊帳は中国から伝わり、当初は貴族など限られた層のものだったとされています。夏の夜、多くの人が虫に悩まされながら眠っていた時代、蚊帳は限られた人だけが手にできる特別な道具でした。中川政七商店の読みものによれば、室町時代の麻の蚊帳は米2〜3石分に相当する価値があったとされ、当時としては非常に高価な品物でした。江戸時代に入ると近江八幡(おうみはちまん)の蚊帳業者が互助会のような組織をつくったことで生産と流通が安定し、庶民の間にも麻の蚊帳が徐々に普及していったと伝えられています。組織立った生産体制が整うことで、それまで一部の職人による手作業に頼っていた供給量そのものを底上げできたと考えられます。
この頃には、蚊帳を担いで町を売り歩く「蚊帳売り」という商売も見られるようになったとされ、蚊帳は貴族の贅沢品から、多くの家庭が持つ夏の必需品へと変わっていきました。
米数石分に相当した品物が庶民の手に届くようになった背景には、生産組織の整備による量産体制の確立があったと考えられます。
四隅に吊るし、くぐって入る
蚊帳の使い方には、独特の作法がありました。部屋の四隅の壁や柱にあらかじめ取り付けられた留め具に、蚊帳の四隅の紐を掛けて広げると、寝床をすっぽりと覆う空間ができあがります。
畳の部屋いっぱいに緑がかった網が広がる様子は、それだけで夏らしい模様替えのようなものでもありました。
出入りする際は、蚊帳を下から両手で持ち上げ、姿勢を低くして素早く体を滑り込ませ、入った後はすぐに裾を下ろす、という動作が習慣になっていたと伝えられています。もたもたしていると隙間から蚊が入り込んでしまうため、家族それぞれが手早く出入りするこつを身につけていたと考えられます。
就寝前には蚊取り線香や蚊遣り(かやり、蚊いぶし)で虫を遠ざけたうえで蚊帳に入る家庭も多く、緑がかった網ごしに見る天井や豆電球の明かりは、蚊帳ならではの夏の夜の風景でした。
この渦巻き型の蚊取り線香、実は社長の奥さんのひらめきから生まれたといいます。KINCHO公式によれば、初期の棒状の線香は約40分ほどで燃え尽きるうえ持ち運び中に折れやすいという弱点があり、1895年(明治28年)、初代社長の夫人・上山ゆきの発案で渦巻き型が誕生したとされています。渦を巻く形にすることで約75センチメートルの長さを確保でき、一晩の眠りをカバーできる約7時間の燃焼時間が実現したといいます。蚊帳が虫を物理的に遮る道具だったのに対し、蚊取り線香は虫を遠ざける・駆除する道具であり、この二つが組み合わさって初めて、安心して眠れる夏の夜が成り立っていたことになります。
朝になると、蚊帳は四隅の紐を外してたたみ、日中は部屋の隅にしまっておくのが習慣でした。毎晩吊っては朝にたたむというこの作業も、夏の間だけ繰り返される、季節の家事のひとつだったといえます。

なぜ蚊帳は緑色だったのか、萌黄蚊帳の誕生
蚊帳といえば、萌黄色(もえぎいろ)と呼ばれる緑がかった色を思い浮かべる人も多いはずです。この色にも、はっきりとした由来が伝えられています。
寝具メーカーの西川によれば、近江商人だった西川家の2代目・甚五は、1628年(寛永5年)に家督を継いだ後、蚊帳について研究を重ねるなかで、旅の途中に緑色のつたかずらが一面に広がる野原にいる夢を見たとされています。目覚めた甚五は、その若葉の色の美しさに感動し、涼しげな緑に囲まれれば、蚊帳の中で眠る人の気持ちも和み、爽快になるだろうと考え、生地を萌黄色に染め、縁に紅色の布をあしらった「萌黄蚊帳」を考案したと伝えられています。
このデザインが人気を呼んでヒット商品となり、江戸の庶民の間にも広まっていったとされています。
単なる虫よけの道具に留まらず、色や意匠によって眠る人の気持ちにまで配慮しようとしたことが、萌黄蚊帳が長く愛され続けた理由のひとつだったと考えられます。
以来、緑色に紅色の縁取りという組み合わせは蚊帳の定番の意匠として定着し、多くの家庭で夏になると当たり前のように見られる光景になっていきました。
奈良で発展した、蚊帳づくりの産地
蚊帳の生地づくりで知られる産地のひとつが奈良です。奈良では鎌倉時代から「奈良晒(ならざらし)」と呼ばれる麻織物がつくられており、当初は南都の寺院で袈裟として使われていたと伝えられています。
中川政七商店公式サイトによれば、16世紀後半に清須美源四郎という人物が晒(さらし)の技法を改良したことをきっかけに奈良晒の名が文献に登場するようになり、17世紀から18世紀前半にかけては徳川幕府から「南都改(なんとあらため)」の朱印を受けて御用品に指定され、生産量は40万疋(ぴき)にも達する黄金期を迎えたとされています。
この頃の奈良晒は主に武士の裃(かみしも)や僧侶の法衣として重宝されていました。同社の1716年(享保元年)創業は、この奈良晒の商いから始まったとされています。
中川政七商店公式サイトによれば、明治維新によって武士という身分そのものがなくなると、裃の需要を失った奈良晒は大きな打撃を受けましたが、明治時代に機械式の紡績糸を使った片麻(かたあさ)の蚊帳が開発され、奈良の地場産業として新たな発展を遂げたとされています。
武士の礼装をつくっていた織物の技術が、庶民の夏の暮らしを支える蚊帳づくりへと姿を変えていったことは、ひとつの産地が時代の変化に合わせて生き残っていった例だといえます。
奈良県織物工業協同組合公式によれば、この産地としての規模は数字にも表れています。昭和36年(1961年)には業者92軒・織機4,250台を数え、年間22億円を生産する規模にまで育っていたとされています。武士の裃が姿を消してから半世紀ほどで、蚊帳という新しい主力商品が、これだけの産業を支えるまでになっていたことになります。
網戸とエアコンの普及で、姿を消していった蚊帳
株式会社三恵ネットの記事によれば、かつての日本家屋は木製の窓枠で隙間が多く、網戸を取り付けても十分に虫を防げなかったため、寝るときは蚊帳を吊るという方法が長く続いていました。
昭和30年代に入ると、合成繊維でできた網の開発と、アルミサッシの普及という2つの変化が重なり、網戸が急速に広まっていったとされています。
木製からアルミ製へ窓枠そのものが変わったことで、気密性の高い網戸を取り付けられるようになり、窓を閉めたまま風だけを通せる網戸が、蚊帳に代わる虫よけの主役になっていきました。
さらにエアコンが普及すると、窓を開けずに眠るという選択肢も一般的になり、蚊帳を必要とする場面そのものが少しずつ減っていったと考えられます。
毎晩吊っては朝にたたむという手間も、窓に固定された網戸であれば不要になります。手間のかからない網戸が広まれば、蚊帳を選ぶ理由そのものが薄れていくのは自然な流れだったといえます。
奈良県織物工業協同組合公式でも、農薬や殺虫剤の普及によって蚊そのものが少なくなったことに加え、住宅の建築様式が和式から洋式へ変わったこと、エアコンが普及したことという複数の変化が重なって、蚊帳の生産量が減っていったと説明されています。網戸の普及だけでなく、蚊自体を減らす衛生環境の変化も、蚊帳が姿を消した一因だったことがうかがえます。

今も残る、蚊帳という道具
住宅の網戸やエアコンが当たり前になった現在、就寝時に蚊帳を吊る家庭はごくわずかになりました。
それでもキャンプ用品やベビー用品として、蚊帳という道具そのものは今も形を変えて残っています。
奈良の蚊帳生地は、台所用品として新しい役割も得ています。中川政七商店オンラインショップによれば、同社の看板商品「花ふきん」は、需要が減っていた蚊帳生地の目の粗い織りが、もともと風を通すための構造であることから吸水性・速乾性に優れている点に着目して生まれました。
発売から25年以上にわたって愛され続け、2022年にはグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞しているとされています。
虫を防ぎながら風を通すという、蚊帳がもともと持っていた「目の粗い織り」という特性そのものが、時代を経て台所用品としての機能性に読み替えられたことになります。
寝室で使われなくなった生地が、姿を変えて台所という別の場所で今も活躍していることになります。
窓を開け放って眠っていた時代の暮らしの知恵が、現在も別の形で受け継がれているといえます。
緑がかった網ごしに眠った夏の夜
扇風機の風が蚊帳の網を通ってふわりと涼しく感じられたこと、蚊帳の中で豆電球の明かりを見ながら眠りについたこと、家族全員がひとつの蚊帳の中に集まって川の字で寝たこと。
蚊帳の外側でぶーんと羽音を立てる蚊を、網ごしに眺めながら「入ってこられない」という安心感を覚えた記憶がある人もいるかもしれません。
網戸もエアコンもなかった時代、蚊帳は単なる虫よけの道具である以上に、夏の夜の家族の記憶と結びついた存在でした。
窓を開け放ち、風を感じながら眠っていたあの頃の夏の記憶を、蚊帳は今も静かに伝えています。
萌黄色に染められた網、渦巻きの蚊取り線香の匂い、そして台所で使われる花ふきん。姿や役割を変えながらも、風は通し、虫は防ぐという蚊帳の発想そのものは、思いのほか長く暮らしのそばに残り続けているようです。
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これ覚えてる?
学校・地域・年代によって内容は異なります。あなたの記憶と重なるものはありますか?
- 家に蚊帳があり、夏の夜に吊って眠った記憶はありますか?
- 蚊帳をくぐって出入りしたときの感覚を覚えていますか?
- 網戸やエアコンが普及して蚊帳を使わなくなった記憶はありますか?
出典・注意事項
本ページは、中川政七商店の読みもの、中川政七商店公式サイト、中川政七商店オンラインショップ、株式会社三恵ネット、西川、KINCHO(大日本除虫菊)公式、奈良県織物工業協同組合公式の記事をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。
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