ランドセルの歴史|赤と黒の通学かばんはいつから

公開日:2026年9月3日 更新日:2026年9月13日

昭和の通学路を、ランドセルを背負った小学生が歩いている情景のイメージ画像(特定の商品・ブランドの再現ではありません)

※AIによるイメージ画像です

背中に背負って、両手を空けて登下校する——今も昔も変わらない、小学校の通学風景の一つです。

「ランドセル」と呼ばれるこの通学かばんが、いつ生まれ、どのように今の形になっていったのかを、ランドセル工業会などの資料をもとにたどります。

もとは大人の兵士が背負っていた軍隊用の背嚢が、なぜ日本中の小学生の必需品になったのか——たどってみると、明治のある学校の「平等」をめぐる決断から始まっていました。

幕末に伝わった軍隊用の背嚢

ランドセル工業会公式によれば、ランドセルの始まりは、幕末に輸入され軍隊で使われるようになった布製の「背嚢(はいのう)」にさかのぼります。オランダ語で背負いかばんを意味する「ransel(ランセル)」が、名前の由来になったとされています。

tenki.jpの記事でも、幕府がオランダから伝わったこの背嚢を軍事用として採用したことが起源として紹介されており、内容は一致しています。もともとは子どもの通学かばんではなく、大人の兵士が装備の一つとして背負うものだった——今の「小学生の象徴」というイメージからすると、少し意外な出発点です。

出典:ランドセル工業会公式「ランドセルの歴史」/日本気象協会 tenki.jp「意外に知らないランドセルの歴史」

明治18年、学習院での採用——きっかけは「平等」でした

ランドセル工業会公式によれば、学習院が開校したのは明治10年(1877年)のことでした。それから8年ほどは、通学のしかたは生徒ごとにばらばらだったといいます。tenki.jpの記事によれば、馬車や人力車で通う生徒もいれば、使用人に荷物を持たせて登校する生徒もいたようです。

学校はこの状況を見直し、「学校では皆平等であり、家庭環境を教育の場に持ち込んではいけない」という考えのもと、馬車・人力車での通学と、使用人による荷物運びをまとめて禁止しました。生徒は自分の足で歩き、自分の手で荷物を持って通学することになったのです。

そこで採用されたのが、両手を空けられる軍隊用の背嚢でした。持ち運びの利便性の良さが、歩いて登校することになった生徒たちに合っていたのだと、tenki.jpの記事では説明されています。これが、ランドセルが学校の通学かばんとして使われ始めたきっかけとされています。

出典:日本気象協会 tenki.jp「箱型ランドセルの父は、伊藤博文だった!?」/ランドセル工業会公式「ランドセルの歴史」

明治20年、伊藤博文が献上した箱型かばん

両資料によれば、明治20年(1887年)、大正天皇の学習院ご入学祝いとして、当時の内閣総理大臣だった伊藤博文が箱型の通学かばんを献上しました。これが、現在私たちが知る箱型のランドセルの始まりとされています。

伊藤博文は、日本で最初の内閣総理大臣です。一国の首相が贈った品が、130年以上経った今も形を変えながら受け継がれているというのは、この逸話ならではの面白さかもしれません。この伊藤博文の逸話は、ランドセル工業会公式とtenki.jpの両方で同じ内容が紹介されており、今回確認した中では比較的よく資料が一致しているエピソードの一つです。

出典:日本気象協会 tenki.jp「箱型ランドセルの父は、伊藤博文だった!?」/ランドセル工業会公式「ランドセルの歴史」

黒革への統一と「学習院型」の完成

tenki.jpの記事によれば、素材は明治23年(1890年)に黒革に決定し、明治30年(1897年)には「縦一尺一寸、横一尺五分、マチ幅二寸五分」という具体的な寸法まで統一され、いわゆる「学習院型」と呼ばれる箱型ランドセルの原型が完成しました。

尺貫法で表されたこの明治30年の規格が、今のランドセルの基本フォルムのもとになっています。以降130年近く経っても、基本的なスタイルは大きく変わっていないといいます。

出典:日本気象協会 tenki.jp「箱型ランドセルの父は、伊藤博文だった!?」

大正〜昭和初期は、まだ一部の子どもだけのもの

ランドセル工業会の年表によれば、学習院で背嚢が採用されてから40年近く経った昭和2年(1927年)の時点でも、ランドセルの使用は1割程度にとどまっていたとされています。呉服屋や炭屋、米屋といった商家の子どもに多かったとされ、当時はまだ、多くの子どもにとって縁遠い存在でした。この年表には対象範囲(全国か都市部か等)の詳しい記載はなく、あくまで工業会年表に記録された数字としてご覧ください。

素材や色の組み合わせも、今とはかなり違っていたようです。翌昭和3年(1928年)の記録では、女の子は別珍(べっちん、起毛させた生地)を使ったかばん、男の子は水色のかばんを使うのが一般的だったとされています。女の子側は素材、男の子側は色という異なる切り口の記述ですが、いずれにしても「黒はランドセル、赤は女の子の色」というおなじみの組み合わせは、この時点ではまだ存在していなかったようです。

出典:ランドセル工業会公式「ランドセル年表」

黒と赤が「定番」になったのは、戦後のことでした

tenki.jpの記事によれば、黒と赤が代表色になった理由には、いくつかの説があるといいます。当時ランドセルに使われていた天然の牛革は、ムラなく染色するのが難しく、比較的美しく仕上げられたのが黒と赤だったという説や、男女をひと目で見分けやすいよう色分けされたという説が紹介されています。

ランドセル工業会の年表では、ヌメ革を黒と赤に染色するようになったのは昭和30年(1955年)と記録されています。ちょうど第一次ベビーブーム世代(いわゆる「団塊の世代」)が小学校に入学し始めた時期にあたり、一度に大量の子どもたちがランドセルを必要とした時代でもありました。

赤・黒がそれぞれ女の子・男の子の色として、いつ・どの程度一般化していたかについては、今回確認できた資料の範囲を超えるため断定は避けますが、昭和3年時点ではまだ黒・赤の組み合わせが定着しておらず、ヌメ革が黒と赤に染色されるようになった昭和30年ごろを境に、今につながる色のイメージが形づくられていったと考えられます。

出典:日本気象協会 tenki.jp「意外に知らないランドセルの歴史」/ランドセル工業会公式「ランドセル年表」

戦後の物不足を経て、「1割」から「99%」の調査結果へ

戦後まもない時期は、革そのものが不足していました。ランドセル工業会の年表によれば、昭和22年(1947年)にはブリキ製のランドセルが登場し、昭和24年(1949年)には豚革のランドセルがよく売れていたと記録されています。昭和26年(1951年)には1月の販売数が前年の1.5倍に伸び、昭和28年(1953年)には牛革のランドセルが出回るようになりました。

価格も大きく動いています。昭和20年(1945年)には12円27銭だったランドセルの価格は、翌昭和21年(1946年)には75円まで上昇しました。1年で6倍近くという上がり方は、戦後のインフレと物資不足の両方が、当時のランドセル事情に影響していたことをうかがわせます。

その後、昭和39年(1964年)にはクラレが人工皮革「クラリーノ」の生産を開始し、昭和47年(1972年)には「ランドセル使用状況実態調査」という調査で使用率99%という結果が出ています。この調査の対象範囲(全国か一部地域か等)は年表に詳しく記載されていないため、あくまで工業会の年表に残る調査結果として紹介しますが、昭和2年の「1割程度」から数十年で大きく数字が変わったこと自体は、記録から読み取れます。

出典:ランドセル工業会公式「ランドセル年表」

なぜランドセルは「小学生の象徴」になったのか

ここまでの流れを振り返ると、「ランドセルはいつから始まったのか」という問いには、実は一つの答えがないことがわかります。始まりは幕末に輸入された軍隊用の背嚢、学校での採用は明治18年の学習院、箱型としての完成は明治30年——ここまでは、いずれも学習院という一つの学校をめぐる出来事でした。

一般の家庭にまで広がったのは、それよりずっと後のことです。昭和2年時点で1割程度だった使用は、戦後の物不足と価格変動を経て、昭和47年の工業会調査では99%まで達しています。調査の対象範囲まで厳密にはたどれないものの、「発祥」「学校での採用」「一般家庭への普及」が、数十年単位で離れた、別々の出来事だったことはうかがえます。

数字だけを並べてみても、変化の大きさがよくわかります。価格は12円27銭(昭和20年)から62,034円(2026年度)へ、使用は1割程度(昭和2年)から99%という調査結果(昭和47年)へ。色や素材の目印も、水色・別珍(男女で異なる切り口)から黒・赤を経て24色以上へと変わりましたが、明治30年に完成した箱型の基本フォルムだけは、100年以上ほとんど変わっていません。

「なぜランドセルが小学生の象徴になったのか」を一つの答えで語るよりも、学習院という一つの学校の通学かばんが、時間をかけて日本中の小学生の持ち物になっていった、という段階を追った変化として捉えるほうが、実際の記録には近いようです。

色も価格も変わったのに、形だけは変わらなかった理由

ランドセル工業会は、背負うことで体への負担を減らし、両手を自由に使えることを、ランドセルの利点として挙げています。色・素材・価格がここまで大きく変化してきた一方で、明治30年に完成した箱型・背負い式という基本構造だけは、130年近くほとんど手つかずのまま残ってきました。

学用品を両手で抱えず、体に密着させて運べるという、明治の学習院が求めた実用性そのものが、色や価格が移り変わった今も、変わらず必要とされ続けているのかもしれません。「学校では皆平等に」という明治18年の考え方が、形を変えながら今の教室にも残っている、と言えるのかもしれません。

出典:ランドセル工業会公式「ランドセルの歴史」

6年間、使い込んでいく道具として

ランドセルは、6年間の小学校生活を通して同じものを使い続けるのが基本でした。角が擦れたり、留め具の動きが緩くなったりと、使い込むほどに自分だけの傷や癖がついていく——ただの通学用品ではなく、6年間の生活とともにあった道具として記憶している人も多いのではないでしょうか。

教室の机で、赤いランドセルに教科書を詰めている小学生の情景のイメージ画像(特定の商品・ブランドの再現ではありません)
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

色・素材が多様化し、価格帯も広がった、その後の変化

tenki.jpの記事によれば、2001年に大手小売チェーンが24色展開のランドセルを発売したことが、色のバリエーションが広がるきっかけの一つになったといいます。

価格の面でも変化が続いています。ランドセル工業会の購入調査によれば、平均購入価格は2018年度の51,300円から2026年度には62,034円まで上がりました。工業会は、「65,000円以上」の高価格帯を選ぶ人が全体の46.0%を占めるなど、高価格帯への支持の厚さが平均金額を押し上げていると説明しています(2026年度調査、1,500人対象)。

色の人気にも、ここまで見てきた歴史との意外なズレがあります。同じく工業会の2026年度調査(男児763人・女児737人、単一回答)では、男の子に人気の色は黒(54.4%)が圧倒的だった一方、女の子の1位は紫(30.0%)、2位は桃(18.7%)、3位は水色(16.7%)と続き、赤(レッド)は6.6%で5位でした。明治以来の「黒と赤」のうち、黒は今も男の子の定番であり続けている一方、この調査では、赤はすでに一番人気の座を譲っているようです。「赤より紫の時代」と言われると、少し意外に感じる方もいるのではないでしょうか。

購入のタイミングも、今どきです。工業会の調査では、本格的な検討は入学前年の4月ごろから始まり、実際の購入は入学前年の9月にピークを迎えるとされています。小学校に上がる1年以上前から、ランドセル選びはすでに始まっているのです。

購入先も多様になりました。工業会の調査では、「GMS・大型スーパー・モール」を利用した人が38.1%と最も多く、百貨店17.3%、メーカー・卸しの直販サイト17.1%と続き、複数の購入先を使い分ける傾向がみられます。

その後も素材やデザインの選択肢は増え続け、昭和・平成の小学生が背負っていた黒か赤かの2択とは、大きく異なる姿になっています。

出典:日本気象協会 tenki.jp「意外に知らないランドセルの歴史」/ランドセル工業会公式「ランドセル購入に関する調査」

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出典・注意事項

本ページは、ランドセル工業会公式サイト(歴史ページ・年表・購入調査)、日本気象協会(tenki.jp)の記事をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。「〜という説がある」という粒度の情報は断定的に扱っておらず、資料で確認できない情報も同様です。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。