洗濯はいつ「全自動」になった?洗濯板から二槽式、全自動へ
公開日:2026年9月26日 更新日:2026年9月27日

※AIによるイメージ画像です
洗う、すすぐ、絞る。いまはボタン一つで続く作業も、以前は工程が変わるたびに人の出番がありました。二槽式なら、ぬれた衣類を隣の脱水槽へ移すところまでが洗濯です。
意外なのは、日本初のドラム式全自動洗濯機が1956年に登場していること。その10年後、家庭へ広がった主役は人の手が残る二槽式でした。洗濯機の歴史を、「どれだけ洗えたか」ではなく「何回その場へ戻らずに済んだか」で見ていきます。
全自動洗濯機とは?たどってきた道のりは一直線ではなかった
「洗濯機は全自動が当たり前」というのは、あくまで今の感覚です。実際には、洗濯板を使った手洗いから今の全自動洗濯機に至るまで、数十年にわたる段階的な進化がありました。
本ページでは、東芝ライフスタイル公式サイトの記録をもとに、手洗い→国産電気洗濯機→二槽式→全自動という流れを、ひとつの言葉でまとめず、段階ごとに正確に見ていきます。
ただし、この矢印は一直線ではありません。1956年に「全自動」が現れ、その後の1966年に二槽式の時代が来ます。完成形が先に顔を出し、手動の工程を残した機械があとから主役になる。洗濯機の歩みは、少し順番が変わっています。
そこで、この記事では「自動」を一つの完成形として見ません。モーターが腕の力を代わる段階、洗濯から脱水までの工程をつなぐ段階、汚れや水量に応じた判断まで機械が担う段階。何を任せられるようになったのかを分けると、同じ全自動という言葉の中にも違いが見えてきます。
洗濯板とたらい——電気洗濯機が登場する前
洗濯板とたらいでは、衣類を水に浸し、こすり、すすぎ、最後に手で絞ります。洗濯物が増えても、働くのは同じ二本の腕です。
なかでも絞る工程は、水を含んだ衣類を持ち上げ、ねじって水気を抜く仕事でした。後の洗濯機を見ていくと、「洗う」だけでなく、この絞る作業を誰が担うかが大きな節目になります。
洗濯機は最初から家事を丸ごと引き受けたのではありません。まず腕の力が必要な工程を、一つずつ受け取っていきました。
だから洗濯機の歴史では、「洗えるか」だけを見ても変化の半分しか分かりません。水を替える、衣類を持ち上げる、絞る、次の工程へ移す。洗う前後に残った動作も、家事の重さを決めていました。

1930年、国産初の電気洗濯機「ソーラーA型」
東芝ライフスタイル公式サイトによれば、国産第一号の撹拌式電気洗濯機「ソーラー」は、1930年(昭和5年)に370円で芝浦製作所(現・東芝)から発売されました。撹拌式とは、水中の羽根を回転させて衣類を動かし、その水流で汚れを落とす方式です。
この370円という価格について、マイナビニュースの記事は「当時、銀行員の初任給が約70円という時代」と紹介しています。単純計算でも初任給の5倍を超える金額であり、同記事は「一般家庭ではとても購入できない高級品」だったという見方を示しています。
初任給5か月分を超える洗濯機。買えば便利、の前に、まず買えるかどうかが大問題です。機械が担当したのも「洗う」ところまでで、すすぎと絞りには人の手が残りました。国産第1号は、全自動へのゴールではなく、長い分担の始まりでした。
370円という数字だけでは、現在の感覚へ置き直せません。初任給約70円との比較を添えると、一台がどれほど遠い買い物だったかが分かります。便利さは登場した時点で、まだ大多数の家庭のものではありませんでした。
出典:東芝ライフスタイル公式「PRODUCT HISTORY 洗濯機」/マイナビニュース「家電・温故知新(1) 国産初の電気洗濯機・東芝『Solar』」
撹拌式から噴流式へ——1950年代、水流方式の広がり
1930年の撹拌式「ソーラー」の後、1950年代に入ると「噴流式」という、水流の起こし方が異なる洗濯機が広まっていきます。
撹拌式が水中の羽根を回転させて衣類を動かす方式だったのに対し、噴流式は底面のパルセーター(回転翼)で強い水流を起こし、その水流で汚れを落とす方式です。東芝の公式記録では、1956年のDA-6について「噴流式初期の洗濯機業界をリードした」とも紹介されており、この時期、洗濯機の主要な方式が撹拌式から噴流式へと移り変わりつつあったことがうかがえます。
見た目はどちらも水の入った槽ですが、中で衣類を動かす方法が違います。人のこする手を、水流でどう再現するか。洗濯機は、自動化と同時に「水の使い方」も作り替えていました。
衣類を機械の中で動かすのか、水を動かして衣類を揺らすのか。外からは見えにくい違いですが、洗浄の中心にある発想は変わっています。洗濯板の上で人が作っていた摩擦を、槽の中の動きへ移したのです。
1956年、「日本初の全自動」を名乗ったDA-6
東芝ライフスタイル公式サイトによれば、1956年に発売された「DA-6」は、「日本初のドラム式全自動洗濯機」と紹介されています。洗濯をしながら他の家事を並行して進められる画期的な機能として位置づけられていました。
「全自動」は、もっと後に生まれた言葉のように聞こえます。ところが1956年です。しかも縦型ではなくドラム式。未来から一台だけ先に届いたような製品でした。
けれど、先に登場したことと、家庭の標準になることは別です。このあと主役になったのは、全自動ではありませんでした。
この一台があるため、「二槽式の次に全自動が発明された」という単純な年表にはできません。技術の順番と普及の順番が逆転している。ここが洗濯機史のいちばん意外なところです。
発明の年だけを並べると、DA-6の登場で物語は完成したように見えます。けれど、暮らしの側から見ると、その後に二槽式を使う長い時間が続きました。「最初にできた機械」と「多くの家庭が使った機械」を分けることが、洗濯機の歩みを理解する鍵になります。
1966年、「銀河」——洗濯機はふたたび二槽式の時代へ
公式サイトは、1966年発売の二槽式洗濯機「銀河(VH-8000)」について「洗濯機は一槽式から二槽式の時代へ」と表現しています。二槽式とは、洗濯槽と脱水槽が別々に分かれた構造の洗濯機で、洗濯が終わった衣類を人の手で脱水槽へ移し替える必要がありました。
全自動のあとに、移し替えが必要な二槽式が広がる。機能の数だけ見れば、歴史が一歩戻ったようです。
ただし二槽式には、洗濯槽を回しながら、隣で別の衣類を脱水できる特徴がありました。手はかかるけれど、使う人が順番を組み替えられる。完全に任せる機械ではなく、人と機械が忙しく分担する道具でした。
東芝の公式記録には、なぜ二槽式が主流になったのかまでは書かれていません。価格や信頼性を推測で埋めず、ここでは順番だけを残します。全自動は先に生まれ、二槽式があとから家庭へ定着しました。
二槽式を使う人は、終了のたびに洗濯物を持ち上げます。ただし、その手間があるから洗濯と脱水を同時に進めることもできる。自動化の度合いだけでは、道具の使い勝手を一列に並べられません。
1979年、マイコン応用で「全自動」がようやく主役になる
公式サイトによれば、東芝は1979年、マイコンを応用した「AW-8800G」を他社に先駆けて発売しました。世界初とされる自動すすぎ検知・水流制御機能を搭載した製品です。
ここで機械が覚えたのは、回すことだけではありません。すすぎ具合を検知し、水流を変える「判断」です。全自動という名前に、ようやく中身が追いついていきます。
さらに1987年には「AW-SX810」が日本初の粉末洗剤自動投入機能を搭載しました。水位に応じて洗剤の量まで自動で調整する、という機能です。
洗う・すすぐ・絞るに加え、水流や洗剤量まで機械が決める。自動化は、腕の代わりから、判断の代わりへ進みました。人の仕事は、洗濯物を入れてボタンを押すところまで小さくなります。
1979年の自動すすぎ検知と、1987年の粉末洗剤自動投入。八年の間に、機械は工程だけでなく、洗濯の途中で人がしていた確認や計量まで受け取りました。「全自動」の意味は、一度完成して終わりではなく、少しずつ広がっていたのです。

「洗う機械の進化」ではなく、「人が手を止めていい回数」の変化
ここまでを、性能ではなく「呼び戻される回数」で並べてみます。
洗濯板の時代は、洗う・すすぐ・絞るのすべてに人の手が必要でした。撹拌式の電気洗濯機は「洗う」を機械に任せましたが、すすぎと絞りはまだ人の作業でした。二槽式になると、洗濯自体は自動で進むものの、洗濯槽から脱水槽への「移し替え」という、人にしかできない工程が残りました。
全自動がなくしたのは、洗う・すすぐ・絞るという工程ではありません。そのつなぎ目に立つ人の出番です。二槽式で聞こえた終了の合図は、「次の槽へ移してください」という呼び出しでもありました。
名前だけなら1956年に到達していた全自動が、マイコンで判断まで担うまでには20年以上。技術の初登場と、暮らしの当たり前は同じ日にはやって来ませんでした。
二槽式を知る人にとって、洗濯機は途中で声をかけてくる道具でした。全自動しか知らない世代には、終了音まで思い出さない道具です。同じ「洗濯機」でも、人との距離はずいぶん違います。
この違いは、何分速くなったかだけでは測れません。途中で一度戻る必要があれば、その前後の予定は洗濯機に合わせます。戻らなくてよければ、まとまった時間を別の家事や外出の準備に使えます。全自動が生んだのは、短い空き時間ではなく、途中で切れない時間でした。
洗濯機が引き受けたものを、腕の力、工程のつなぎ、途中の判断という順に見ると、便利さの輪郭がはっきりします。回転する槽の性能だけでなく、人が次に呼ばれるまでの長さも、家事を変える大切な性能だったのです。

洗濯機から呼ばれる回数が減るまで
1930年のソーラーは「洗う」を引き受けました。二槽式は洗濯と脱水を機械に任せましたが、間の移し替えを人に残しました。マイコン式は、すすぎ具合や水流まで判断しました。
洗濯機の進化は、機械が大きくなった歴史というより、人が途中で戻る回数が減った歴史です。洗濯物を入れ、ふたを閉じ、その場を離れる。いまの何気ない動作には、かつて何度も必要だった立ち会いがありません。
次に終了音が鳴るまで別のことをしていられたら、その音は作業開始の合図ではなく、長い家事が終わったことを知らせる合図になったのだと気づけます。
洗濯機が静かな時間は、人が待っている時間ではなく、人を別の場所へ送り出した時間です。
あわせて読みたい
同じ時期に自動化が進んだ台所の家電については電気釜の記憶でもたどれます。
あなたが子どもの頃の洗濯機事情は?
生まれ年を選ぶと、あなたが子どもだった頃の年代・年齢帯にまつわるページへのリンクを表示します。
これ覚えてる?
学校・地域・年代によって内容は異なります。あなたの記憶と重なるものはありますか?
- 家にあった洗濯機は、二槽式でしたか、それとも全自動でしたか?
- 洗濯槽から脱水槽へ衣類を移し替えた記憶はありますか?
- 洗濯板を使っていた話を、家族や周りの人から聞いたことはありますか?
出典・注意事項
本ページは、東芝ライフスタイル公式サイトのPRODUCT HISTORY(洗濯機)、およびマイナビニュース「家電・温故知新」の記事をもとに構成しています。1956年の全自動機(DA-6)がその後すぐには主流にならず、1966年に二槽式が普及していった具体的な理由については、確認できた公式記録の範囲を超えるため、断定的な記載を避けています。
ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。