カラーテレビはどう広がった?「三種の神器」から「3C」へ

公開日:2026年9月26日 更新日:2026年9月27日

1970年前後の日本の茶の間で、家族がカラーテレビを囲んで団らんしているイメージ画像。画面の映像は特定の番組の再現ではありません。

※AIによるイメージ画像です

1960年9月10日、日本でカラー本放送が始まりました。けれど、その夜に全国のお茶の間が一斉に色づいたわけではありません。1966年になっても、二人以上世帯の普及率は0.3%でした。

放送はカラー、家の画面はまだ白黒。その距離を縮めたのは、値下がりと番組の増加、そして次の憧れを表す「3C」でした。「三種の神器」と混同されやすい二つの言葉も、ここで整理します。

カラーテレビとは?まず「三種の神器」との違いを整理する

まず、よく混ざる二組を分けます。白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫は「三種の神器」。カラーテレビ・クーラー・カーは「3C」です。似た顔ぶれですが、同じ時代の呼び名ではありません。

葛飾区史によれば、「昭和30年代初期には電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビが『三種の神器』と呼ばれて普及し始めた」とされています。「三種の神器」とは、もともと天皇の位についたしるしとして代々受け継がれる3つの宝器を指す言葉です。それを家電になぞらえ、「家庭になくてはならないもの」という意味を込めて使われるようになりました。

一方、カラーテレビが含まれるのは、この後に登場する「3C」(カラーテレビ・クーラー・カー)

というグループです。同じ葛飾区史では、昭和30年代後半にcolor TV・cooler・carの頭文字から「3C」と呼ばれたと説明しています。白黒テレビをようやく家へ迎えた次に、今度は画面の色が新しい憧れになりました。家電の買い物リストは、なかなか休ませてくれません。

出典:葛飾区史「第4章 現代へのあゆみ(戦後〜平成)」

1960年9月10日、カラー本放送が始まる

マイナビニュースによれば、1960年(昭和35年)9月10日、NHKと民放各局がカラーテレビの本放送を開始しました。これはアメリカ・キューバに次いで世界で3番目のカラー本放送開始だったとされています。

世界で3番目という早さです。ただし、電波に色がつくことと、家のテレビがカラーになることは別の話。放送局は始められても、家庭には受像機を買う理由とお金が必要でした。

この先の十数年は、放送技術の歴史というより、「見られるけれど、まだ持てない」を埋める時間になります。

出典:マイナビニュース「今日は何の日?(10) カラーテレビ放送が始まった日(1960年9月10日)」

カラーテレビが並ぶ1960年代の街頭風景のイメージ画像。特定の人物・商品・企業の再現ではありません。
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

なぜすぐには広まらなかったのか

マイナビニュースの記事は、放送開始当初について「カラーテレビの受像機は非常に高価だったことに加え、カラーで放送される番組もわずかでした」と紹介しています。

高い。しかも、色で見られる番組が少ない。せっかく大金を払っても、白黒で映る時間が多いのでは、買い替えの決心はつきにくいものです。受像機の値段と放送の中身。両方がそろうまで、カラーはまだ店頭の未来でした。

カラーテレビの普及には、放送・価格・買い替えという三つの時計がありました。放送局がカラー番組を送れるようになる。受像機が家計で検討できる価格へ近づく。そして、すでにある白黒テレビを替えようと家庭が決める。この三つは、同じ速さでは進みません。

白黒テレビを持っていない家が初めてテレビを買うのとは違い、カラー化には「今ある一台でも番組は見られる」という事情がありました。見られないから買うのではなく、より豊かに見たいから買い替える。必要性だけでなく、体験の差が購入理由になる家電だったのです。

そのため、1960年の本放送開始を、そのまま家庭のカラー化の始まりとは数えられません。技術は放送局から先に始まり、価格と番組が追いつき、最後に茶の間の一台が入れ替わる。普及率の数字は、その時間差を映しています。

出典:マイナビニュース「今日は何の日?(10) カラーテレビ放送が始まった日(1960年9月10日)」

「非常に高価」を数字で見る

「非常に高価だった」とは、具体的にどれくらいの金額だったのでしょうか。物価の推移をまとめたサイトによれば、1960年頃のカラーテレビはおよそ50万円、同時期の白黒テレビ(約5万8千円)の10倍程度の価格だった

と紹介されています。別のメディアでも、東芝の初期カラーテレビが約50万円だったと紹介されており、当時の物価水準(小学校教員の初任給が1万円程度)と比べても、飛び抜けて高額だったことがうかがえます。

ただし、この「50万円」という金額は、政府統計や新聞アーカイブのような一次資料ではなく、いずれも民間メディアの記事にもとづく数字です。機種やメーカーによって挙げられている金額にも幅があり(別の記事では17型42万円・21型52万円という数字も紹介されています)、当時の正確な平均価格を1つの数字で断定できる一次資料は、今回の調査では見つかりませんでした。

ここでは、複数の民間メディアが40万円台後半〜50万円程度と伝えている範囲で扱います。平均価格を一本の数字に丸めないのは、機種も資料も違うためです。

白黒テレビの約10倍という比較なら、隔たりがよく分かります。色が増えただけ、と呼ぶには、値札の差が大きすぎました。

物価の推移をまとめたサイトによれば、その後カラーテレビの価格は年々下がり、1965年には約19万8千円、1975年には約13万2千円

程度まで低下していったと紹介されています。白黒テレビとの価格差も、時間とともに縮んでいったとされています。別のメディアでは、1966年には10万円以下の小型カラーテレビも登場したと紹介されており、高価格帯だけでなく、より手頃な機種もこの時期から並行して現れ始めていたことがうかがえます。

1970年代へ向けて価格が下がり、10万円を切る小型機も現れる。正確な平均額より重要なのは、「別格の品」から「家計で検討できる品」へ値段の帯が動いたことです。そこで、普及率の線もようやく上を向きます。

店頭でカラー映像を見ても、家へ持ち帰れるとは限らない。初期のカラーテレビは、映像の鮮やかさと値札の重さが同じ場所に並ぶ商品でした。値下がりは単なるお得さではなく、未来の映像を家庭へ運ぶ条件だったのです。

出典:「テレビの値段の推移【日本の物価】」/ハミングヘッズ「カラーテレビ 歴史|次の60年へ 躍動するテレビの変遷史 第3回」

「東京オリンピックで普及した」という話と、実際の数字のズレ

カラーテレビというと、「1964年の東京オリンピックを機に一気に普及した」という語られ方をよく見かけます。ここで、実際の統計データと照らし合わせてみましょう。

内閣府「消費動向調査」にもとづく数値を報じたYahoo!ニュース(エキスパート)の記事によれば、1966年時点(東京オリンピックの2年後)のカラーテレビ世帯普及率は、わずか0.3%

でした(全国・二人以上世帯対象)。その後、1971年に42.3%、1972年に61.1%と急速に伸び、1975年には90.3%に達しています。内閣府の統計原本ではなく、これを引用した記事にもとづく数値である点をあらかじめお断りしておきます。

東京オリンピックがカラーを知るきっかけになったとしても、「五輪で一気に普及」とは数字が合いません。2年後で0.3%です。知られた日と、家に届いた日は別でした。

本当に急なのは1971年42.3%から、1972年61.1%への伸びです。わずか1年で半数をまたぎ、1975年には90.3%。長く助走したあと、家庭の画面は数年で一気に色づきました。

この数字を家の並びに置き換えると、1971年には半分に届かなかったものが、翌年には半分を超えています。「隣の家にはある」が珍しくなくなると、カラーは遠い展示品ではなく、次の買い替え候補に見え始めます。

出典:Yahoo!ニュース エキスパート(不破雷蔵)「カラーテレビの普及率をさぐる」(内閣府「消費動向調査」にもとづく)

カラーテレビの普及率が1966年0.3%、1971年42.3%、1972年61.1%、1975年90.3%へ変化した時間差を示す図解。全国の二人以上世帯の値。
※内閣府「消費動向調査」を引用した報道記事の値をもとに作成した図解です

「三種の神器」と「3C」——なぜ2つの世代に分かれたのか

普及率のデータを踏まえると、「三種の神器」と「3C」が別の時代の言葉である理由がより具体的に見えてきます。

白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫という「三種の神器」は、1950年代のうちに家庭へ広がり始めた品目でした。対して「3C」に数えられるカラーテレビが世帯の半数を超えたのは、1972年のことです。実に10年以上の開きがあります。

三種の神器が家庭へ入り始めたあと、次の目標として3Cが語られました。同じ「憧れの三点セット」でも、白黒テレビを手に入れる波と、それをカラーへ替える波には10年以上のずれがあります。

洗濯機や冷蔵庫が家事の負担を軽くした時代から、色、涼しさ、自由な移動を求める時代へ。二つの呼び名を分けると、家庭が次に欲しがったものまで見えてきます。

白黒テレビとカラーテレビが別の組に入っているのも象徴的です。同じ番組を見る箱でも、一台目は「家で見られる」をかなえ、次の一台は「色で見られる」をかなえました。買い替えの理由が、所有から体験へ移っています。

出典:葛飾区史「第4章 現代へのあゆみ(戦後〜平成)」/Yahoo!ニュース エキスパート(不破雷蔵)「カラーテレビの普及率をさぐる」(内閣府「消費動向調査」にもとづく)

昭和30年代初期の三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)と、昭和30年代後半の3C(カラーテレビ・クーラー・カー)を比較した図解。
※葛飾区史の記載をもとに、二つの呼び名と品目を整理した図解です

「みんなで見る」から「家庭で見る」、そして「色で見る」へ

テレビを見る場所と、画面から受け取るものも変わりました。

1950年代前半、テレビはまだ多くの家庭になく、街頭に置かれた街頭テレビの前に人々が集まって見る「みんなで見る」時代でした。やがて白黒テレビが各家庭に普及し、「家庭で見る」時代に移ります。そして1970年代、カラーテレビが世帯の大半に行き渡ることで、「色で見る」ことが当たり前になっていきました。

街頭テレビでは、見られる場所へ人が集まりました。白黒テレビが家へ入ると、画面を家族で囲みます。そしてカラーになると、選手のユニフォーム、料理の焼け具合、衣装の華やかさまで情報になります。

同じ番組でも、色は飾りではありません。何が映っているかを伝える材料です。カラーテレビは、番組を増やしたのではなく、同じ画面から受け取れるものを増やしました。

家族が画面を囲む姿は白黒時代と同じでも、話題は変わります。「何が映ったか」に加えて、「どんな色だったか」を共有できるようになりました。色は技術仕様ではなく、お茶の間の会話へ入り込んだのです。

画面に色があることを忘れるまで

1960年に放送が始まり、1970年代前半に普及率が急上昇するまで、十年以上ありました。電波は先に色づき、値札と番組と家庭があとから追いつきました。

三種の神器と3Cを分けて見ると、白黒テレビを家へ入れること自体が目標だった時代と、画面の質を上げることが目標になった時代が見えます。

いま映像に色があることを、私たちはほとんど意識しません。それはカラー化が特別でなくなった証拠です。白黒の古い映像を見たときだけ、かつて色そのものが家族の憧れだったことを、画面のほうから思い出させてくれます。

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出典・注意事項

本ページは、マイナビニュース、葛飾区史(自治体公式)、Yahoo!ニュース エキスパート(不破雷蔵氏、内閣府『消費動向調査』にもとづく記事)、物価統計サイト、ハミングヘッズの内容をもとに構成しています。普及率の統計は、内閣府の統計原本(esri.cao.go.jp等)への到達を試みましたが、公開ファイルが旧バイナリExcel形式でありデータを直接確認できなかったため、これを引用した報道記事を出典としています。カラーテレビの当初価格についても、政府統計・新聞アーカイブ等の一次資料は確認できず、複数の民間メディアが伝える金額(40万円台後半〜50万円程度、機種により幅あり)として紹介しています。「三種の神器」(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)と「3C」(カラーテレビ・クーラー・カー)は、時期の異なる別の言葉として扱っています。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。