街頭テレビとは?力道山のプロレス中継に人々が集まった昭和の風景

公開日:2026年9月7日

1950年代の日本、街頭テレビの前に集まりプロレス中継を見る人々のイメージ画像。特定の人物の再現ではありません。

※AIによるイメージ画像です

テレビがまだ一般家庭にほとんどなかった時代、駅前や公園に置かれ、誰でも無料で見られたテレビがあったことを知っていますか。

「街頭テレビ」と呼ばれたこの仕組みが、なぜ生まれ、どんな熱狂を生んだのかをたどります。

街頭テレビとは?誰でも無料で見られたテレビ

街頭テレビとは、駅前広場や公園、街角といった人が集まる場所に置かれ、通りがかりの誰もが無料で視聴できたテレビ受像機のことです。1953年(昭和28年)にテレビ放送が始まった当時、テレビ受像機はまだ非常に高額で、一般家庭にはほとんど普及していませんでした。テレビを持たない人が大多数だったからこそ、街頭テレビは多くの人が初めてテレビを目にするきっかけとなりました。

出典:国立国会図書館 リサーチ・ナビ(レファレンス協同データベース)「昭和30年ごろ、街頭テレビの設置場所」

放送開始前から始まっていた設置、全国278か所へ

街頭テレビの設置を積極的に進めたのは、当時日本テレビの社長だった正力松太郎(しょうりき まつたろう)です。

日本テレビの社史『大衆とともに』によれば、1953年8月の放送開始に先立ち、テレビというメディアの力を人々に知ってもらうため、新橋駅西口広場や新宿駅、上野駅、日比谷公園、浅草観音、水天宮など、首都圏55か所に220台の街頭テレビが設置されました。

同じ頃、NHKも独自に街頭テレビを設置していたと複数の資料に記録されています。その後、街頭テレビは新潟県柏崎市や福島県会津若松市、静岡県焼津市など、全国278か所にまで広がっていったとされています。

出典:国立国会図書館 リサーチ・ナビ(レファレンス協同データベース)「昭和30年ごろ、街頭テレビの設置場所」/実演家著作隣接権センター(CPRA)「民間放送局とテレビ放送の誕生-そして実演家の権利の発展」

テレビがまだ家庭になかった頃の、昭和20年代の商店街の様子をイメージした画像です。
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

力道山のプロレス中継に人々が押し寄せた

街頭テレビが最も賑わったのは、プロレスの中継が行われるときでした。1954年2月19日、力道山と柔道家の木村政彦が海外の強豪レスラー組に挑んだ世界タッグ選手権の中継は、日本で初めての本格的な国際プロレス中継とされ、日本のスポーツ中継の夜明けを告げるものになったと伝えられています。

とりわけ、力道山(りきどうざん)が空手チョップで外国人選手をなぎ倒す姿は、街頭テレビの前に集まった人々を熱狂させました。

新橋駅西口広場では、小さなテレビ1台の前に1万人から2万人もの人が集まったこともあったとも伝えられています。テレビをまだ持たない人々にとって、街頭テレビは娯楽であると同時に、近所の人たちと肩を並べて同じ画面を見つめる、めったにない共同体験の場でもありました。

出典:実演家著作隣接権センター(CPRA)「民間放送局とテレビ放送の誕生-そして実演家の権利の発展」/東京新聞デジタル「<スポーツ探偵>力道山×生中継70年 テレビの未来を拓いたプロレス」

テレビが家庭に普及していくとともに

1950年代後半以降、テレビは電気冷蔵庫・電気洗濯機とともに「三種の神器」と呼ばれ、少しずつ一般家庭にも普及していきました。

大きな転機のひとつが、1959年4月10日に行われた皇太子(当時、現在の上皇陛下)ご成婚のパレード中継です。テレビメーカー各社が競って宣伝を行ったこともあり、パレードの1週間前にはNHKの受信契約数が200万件を突破しました。

それでもなお、パレード当日は沿道に53万人、街頭テレビの前には全国であわせて1500万人もの人が集まったとされ、街頭テレビはこの時点でもまだ大きな役割を果たしていたことがうかがえます。

家庭でテレビを見られる人がその後さらに増えるにつれて、街頭に集まって見る必要性は徐々に薄れていったと考えられます。ただし、街頭テレビが具体的にいつ頃、どのような経緯で役目を終えていったのかについては、今回の調査では確実な裏付けが得られなかったため、断定的な時期の記載は避けています。

出典:日経ビジネス「『ご成婚パレード』を撮れ! テレビ3局の攻防」

テレビが「家にある前」の記憶

今では一人一台のスマートフォンで映像を楽しめる時代ですが、かつては近所の人たちと肩を並べ、同じ街頭テレビの画面を見上げていた時代がありました。まだ見ぬ相手にチョップを浴びせる力道山に歓声をあげ、遠く離れた皇居前のパレードに思いを馳せる。街頭テレビは、テレビが「家にあるもの」になる前、街角で人々がひとつの画面と出来事を共有していた時代の記憶です。

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出典・注意事項

本ページは、国立国会図書館のレファレンス協同データベース、CPRA(実演家著作隣接権センター)、東京新聞デジタル、日経ビジネスの記事をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。街頭テレビが姿を消していった具体的な時期・経緯については、NHK等の一次資料による確実な裏付けが得られなかったため、断定的な記載を避けています。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。