ベーゴマの遊び方|地面や樽の上で回した昭和の定番遊び

公開日:2026年9月3日 更新日:2026年9月11日

昭和の路地で、子どもたちが樽の上でベーゴマを回して勝負している情景のイメージ画像(特定の商品・意匠の再現ではありません)

※AIによるイメージ画像です

紐をきつく巻きつけて、勢いよく投げ入れる。樽やゴザの上で回るコマが、相手のコマを弾き飛ばす——そんな真剣勝負に夢中になった記憶はありませんか。

「ベーゴマ」と呼ばれるこの遊びが、いつごろから親しまれ、昭和の子どもたちにどう広まっていったのかを、日本玩具博物館などの資料をもとにたどります。

始まりは江戸時代、貝殻を削ったコマ

日本玩具博物館によれば、ベーゴマの始まりは江戸時代初期にさかのぼります。当初はバイ貝の殻の上部を平らに削り、紐を巻きつけて投げて回すという素朴な遊びでした。享保15年(1730年)に大阪で刊行された絵本『絵本御伽品鏡』にも、盥(たらい)の上に茣蓙(ござ)を敷いて土俵を作り、その上でバイ貝のコマを回す子どもたちの様子が描かれているといいます。

この遊びが京阪地方から江戸に伝わる中で、「バイ」「バイゴマ」から「ベーゴマ」へと名称が変化していったと紹介されています。

海で獲れる貝殻を削っただけの道具から始まったこの遊びが、江戸時代を通じて地域を越えて伝わり、名前まで変えながら定着していったことになります。300年近く前の絵本に子どもたちが同じような遊びに興じる姿が描かれていたという事実は、コマをぶつけ合う遊びの魅力が、時代を越えて共通していたことを物語っているといえそうです。

出典:日本玩具博物館「『バイ』と『ベーゴマ』」

京阪と江戸で違った、仕上げの好み

日本玩具博物館によれば、同じバイ貝のコマでも、京阪では溶かした鉛や粘土を貝殻に詰めて重くし、切り口を赤い蝋で彩ったものが好まれた一方、江戸では詰め物をしない簡素な品が愛されていたといいます。

同じ遊びでも、地域によって道具の仕上げ方に違いがあったことになります。重くして勢いよく回すことを好んだ京阪と、簡素な形をそのまま楽しんだ江戸——同じコマ遊びの中にも、地域ごとの好みが表れていたようです。

出典:日本玩具博物館「『バイ』と『ベーゴマ』」

紐を巻いて、樽の上で勝負する

ベーゴマの遊び方の核心は、紐をコマにきつく巻きつけ、狙った位置へ勢いよく投げ入れること。「床(とこ)」と呼ばれる勝負の場を複数のコマで囲むように回し、最後まで回り続けたコマや、相手のコマを床の外へ弾き出したコマが勝ちとなる遊び方が広く親しまれました。

床の作り方には地域差があったとも紹介されており、関東では樽やバケツの上にシーツやビニールをたるませて張り、関西ではゴザを折りたたんで台の上に置くという違いがあったといいます。同じ「床の上でコマをぶつけ合う」という遊びでも、道具の組み方は地域ごとに少しずつ異なっていたことになります。

出典:日本玩具博物館「『バイ』と『ベーゴマ』」

昭和の子どもが紐を巻いたベーゴマを手に、樽の上の土俵に投げ入れようとしている情景のイメージ画像(特定の商品・意匠の再現ではありません)
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

コマの種類と、それぞれの特性

コマの形にも種類があり、背が低く平たい「ペチャ」、背が高く丸みを帯びた「丸六」、角張った「角六」などが代表的な形として知られています。同じベーゴマという名前の道具でも、地域や好みによって選ばれる形はさまざまだったようです。

中川政七商店の記事によれば、コマの背の高さは大きく「タカ」と「ペチャ」の2種類に分けられ、薄い「ペチャ」は相手を弾き飛ばしやすい一方、回すのが難しいという特性があるといいます。同記事では、紐の巻き方にも「女巻き」「男巻き」、そして「関西巻き」といった地域差のある呼び名が存在することも紹介されています。

出典:中川政七商店の読みもの「人気再燃の『ベーゴマ』。遊び方から造り方まで、日本唯一のメーカーに聞く」

削って磨いて、自分だけの「強いコマ」に

日本で唯一のベーゴマメーカーへの取材記事によれば、コマの底面をヤスリで磨くとよく回る「強いコマ」になるとされ、こうした手入れや改造も遊びの一部として親しまれていたといいます。

中川政七商店の記事では、名前の刻印によるわずかな重量差を意識した遊び方の一例として、プロ野球選手の名前を刻んだ「野球シリーズ」が紹介されています。選手名の画数が多いほど文字の彫りに使われる面積が増え、その分だけ削り取られる部分が減るため、「長嶋」は画数の少ない「王」よりコマとしてわずかに重くなっていた、という具体的な例です。あくまで同記事が挙げる一例ですが、名前を選ぶだけでなく、こうした細部の違いまで含めて、自分だけの一台を選び、育てていく楽しみがあったことがうかがえます。

一般社団法人東京ベーゴマ公式サイトによれば、ベーゴマの標準的な重さは36〜38グラムほどとされ、削りすぎると32グラムほどまで軽くなってしまい、かえって競技では不利になることもあるといいます。同サイトでは、うまく削れたときの達成感や、加工のこつを子どもが大人に教えるといった世代を越えたやり取りが生まれることも、加工という工程が持つ魅力として紹介されています。

出典:中川政七商店の読みもの「人気再燃の『ベーゴマ』。遊び方から造り方まで、日本唯一のメーカーに聞く」/一般社団法人東京ベーゴマ公式サイト「ベーゴマ加工は勝つためだけじゃない?」

明治末期、鉄のコマになったベーゴマ

日本玩具博物館によれば、明治末期にはバイ貝をかたどった鋳物製のベーゴマが登場し、人気が集中していきました。貝殻から鉄へと素材が変わったことで、道具としての耐久性は大きく増したことになります。

一方で、鉄のかたまりに紐をかけて投げて回す遊びだけに、時には誤って壁や扉を壊してしまうこともあったといい、学校によってはこの遊びが禁止されることもあったと紹介されています。丈夫になったことが、新しい問題も連れてきたことになります。

出典:日本玩具博物館「『バイ』と『ベーゴマ』」

昭和30年代、鋳物の街から全国へ

日本玩具博物館によれば、昭和30年代には表面にプロ野球選手や力士の名を刻んだベーゴマが全国で流行しました。

この鋳物製ベーゴマの多くを支えていたのが、「鋳物のまち」として知られる埼玉県川口市です。日本玩具博物館によれば当時60を超える工場がベーゴマを製造しており、川口市公式サイトでも、川口が鋳物製ベーゴマの一大産地だったことが紹介されています。

戦時中は材料統制によって製造が一時中断したとも紹介されており、金属でできた玩具ならではの浮き沈みを、ベーゴマも経験していたことになります。

出典:日本玩具博物館「『バイ』と『ベーゴマ』」/川口市公式サイト

なぜ川口だったのか、鋳物産業との関係

まっぷるウェブによれば、川口で鋳物産業が発展した背景には、荒川で鋳物に適した砂や粘土が採れたことと、荒川・日光御成道による輸送の便のよさがあったといいます。江戸という大消費地向けに鍋・釜などの日用品を専門に作ってきた歴史が、明治以降の鋳物製ベーゴマの量産にもつながっていったことになります。

ダイヤモンド・オンラインの取材記事によれば、ベーゴマ製造はもともと、鋳物工場の職人たちにとって仕事が暇な時期に余った鉄を使って作る「副業」だったといいます。秋ごろに問屋へ売り、冬に子どもたちが遊ぶというサイクルがあったと紹介されており、日本で唯一のベーゴマ専業メーカーが創業した1953年ごろの川口には、50〜60社ものベーゴマ製造会社があったといいます。

鍋や釜を作るための鋳物の技術と材料が、そのまま子どもの遊び道具にも生かされていたことになります。ベーゴマは、川口という「ものづくりのまち」が育ててきた技術の、もう一つの顔だったといえそうです。

出典:まっぷるウェブ「川口鋳物が近代化を背景に日本一になるまで」/ダイヤモンド・オンライン「日本唯一の『ベーゴマ』メーカーが、絶滅寸前でも踏ん張り続ける理由」

今も続く、川口のベーゴマ文化

中川政七商店の取材記事によれば、鋳物のまち川口市では毎年10月の最終日曜日に「全国ベーゴマ選手権大会」が開かれており、日本で唯一残るベーゴマメーカーも、今なお製造を続けているといいます。

同記事によれば、人気の漫画やアニメのキャラクターとコラボしたベーゴマの受注も増えており、従業員が「ベーゴマ伝道師」として全国の児童館やショッピングセンターを回り、遊んだことのない子どもたちに遊び方を教える活動も行われているといいます。鋳物のまちで始まった小さな産業が、形を変えながら今も続いていることがわかります。

この全国大会を主催する一般社団法人東京ベーゴマによれば、大会は参加者が受け取った2つのベーゴマを1時間かけて自分でヤスリ加工するところから始まり、予選は長く回り続けるか相手を弾き出せば勝ちとなる「リキ勝負」、勝ち上がった本戦では相手を弾き出さない限り勝てない「弾き勝負」というように、段階が進むごとにルールが厳しくなっていくといいます。

同法人によれば、ベーゴマが床に乗らない「床外し」をすると負けというルールもあり、参加者は年々増えて約200名にのぼるといいます。自分でコマを削るところから対戦が始まるという形式には、削って磨いて自分だけの一台に育てるという、ベーゴマ本来の楽しみ方がそのまま受け継がれているといえそうです。

同法人によれば、参加者の年代は幼児から70代まで幅広く、性別を問わず顔なじみが多いといい、同い年の子ども同士の対決だけでなく、夫婦で対戦する場面も見られるといいます。子どもの遊びとして始まったベーゴマが、今では世代を越えて楽しまれる場になっていることがうかがえます。

日三鋳造所公式サイトによれば、同社は今も年に複数回、独自のイベントや大会を開催し続けています。明治末期から続いてきた「川口のベーゴマ」という文化が、大きな全国大会だけでなく、メーカー自身が主催する催しという形でも、途切れることなく受け継がれていることがわかります。

出典:中川政七商店の読みもの「人気再燃の『ベーゴマ』。遊び方から造り方まで、日本唯一のメーカーに聞く」/一般社団法人東京ベーゴマ公式サイト「第14回 全国ベーゴマ選手権」/株式会社日三鋳造所公式サイト「ベーゴマの世界」

ベーゴマができるまで、鋳物ならではの製造工程

中川政七商店の取材記事によれば、ベーゴマはアルミ製の型に砂を敷き詰めて固めた「砂型」に、1,400度ほどに溶かした鉄を流し込んで作られるといいます。溶けた鉄はすばやく正確に型へ流し込む必要があり、10〜15分ほどで固まったところで砂型を壊して取り出すという工程が紹介されています。

同記事によれば、取り出したコマは表面のざらつきを取るため、バレルと呼ばれる機械で1時間前後回転させて面取りをするといいます。1つの砂型から一度に作られるベーゴマは54個(6個×9列)にもなるそうです。鍋や釜と同じ鋳物の技術が、小さな玩具1つひとつにも丁寧に注ぎ込まれていたことになります。

出典:中川政七商店の読みもの「人気再燃の『ベーゴマ』。遊び方から造り方まで、日本唯一のメーカーに聞く」

現代のベイブレードとの関係

回転するコマをぶつけ合って競う玩具「ベイブレード」の開発を担ったタカラトミーの北村晃男氏は、取材に対しベーゴマに選手の名前が刻印されていたことが、子どもたちの感情移入につながっていたと振り返っています。初期のベイブレードには天面にデザインがなく、ベーゴマで遊んでいた子どものように思い入れを持ちにくいという課題があり、そこからデザイン入りのチップを付ける改良につながったと語られています。

ベイブレードがベーゴマの直接の後継というわけではありませんが、回転するコマをぶつけ合って競うという点や、自分の一台に愛着を持って挑むという遊び方の芯の部分では、確かにつながりが感じられます。

バイ貝の殻を削っただけの素朴な遊びから、鋳物の技術によって鉄のコマへと姿を変え、川口という「ものづくりのまち」に根を下ろし、そして今はベイブレードという新しい玩具にもその発想の一端を残している——ベーゴマは、江戸時代から令和の今まで、形を変えながら遊ばれ続けてきた道具だといえます。

出典:ひとめぼ「『ベイブレード』はどうやって生まれた? 開発経緯を取材」

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同じ「回して遊ぶ」おもちゃの記憶はこま(独楽)の歴史でも確認できます。ベーゴマは金属製の競技用ごまで、起源をたどるこまとは別の角度からの記事です。

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出典・注意事項

本ページは、日本玩具博物館・川口市公式サイト・中川政七商店の読みもの・まっぷるウェブ・ダイヤモンド・オンライン・開発者インタビュー記事(ひとめぼ)をもとに構成しています。ベイブレードとの関係については、開発者インタビュー記事で確認できた範囲にとどめ、歴史的な系譜としては断定していません。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。