貸本屋とは?漫画を借りて読んでいた昭和の記憶
公開日:2026年9月10日 更新日:2026年9月12日

※AIによるイメージ画像です
少ないお小遣いで、何冊もの漫画や小説を読むことができた「貸本屋」。
本を「買う」のではなく「借りる」というこの文化が、いつ広まり、どんな独自の漫画文化を生み、なぜ姿を消していったのかをたどります。
貸本屋とは?本を貸して料金を受け取る商売
少しのお金を払えば、本棚いっぱいの漫画が読み放題になる――今なら「サブスク」と呼ばれそうな仕組みが、実はテレビもインターネットもなかった時代の日本に、すでに存在していました。貸本屋とは、本や雑誌を一定期間貸し出し、その対価として料金を受け取る商売です。本記事で主に扱う昭和の貸本屋は、1950年代から1960年代にかけて全国の住宅街に数多く見られた、店舗を構えて漫画や小説を貸し出す形態です。まだテレビが各家庭に普及していなかった時代、貸本屋は子どもから大人まで、幅広い世代が娯楽を求めて通う身近な場所でした。
江戸時代から続く、本を貸すという商売
Yahoo!ニュース エキスパートに掲載された原田ゆきひろ氏の記事によれば、店舗を構えて本を貸す貸本のサービスは江戸時代前半の寛永年間頃にはすでに登場しており、その後の元禄時代には、本を担いで得意先を回る行商形式の貸本屋が広く普及していったとされています。
同記事によれば、当時の貸本屋の中には、1軒で200人近い顧客を抱える例もあったと伝えられています。
単に本を貸すだけでもなかったようです。原田氏の記事で紹介されている、200人近い顧客を抱えていたという貸本屋の例では、店主が客それぞれの好みまで頭に入れて商売をしていたと伝えられています。今でいえば、行きつけの店員が自分の好みを覚えていてくれるような、顔なじみならではの関係が、江戸時代の貸本屋の一部にはすでに成り立っていたことになります。
本がまだ高価だった江戸時代から、「買う」よりも「借りる」ほうが身近だったという構図は、昭和の貸本屋にもそのまま引き継がれていたことになります。
なぜ「買う」のではなく「借りる」だったのか
貸本屋が支持された最大の理由は、価格の違いにありました。テレビもゲームもまだ一般家庭に普及していなかった時代、漫画や小説は数少ない娯楽のひとつであり、それをいかに安く楽しめるかが、子どもたちにとって切実な問題でした。
貸本漫画の単行本の定価はおおむね100円から150円程度だった一方、貸本屋の入会金は20円程度、貸出料金は2泊3日で10円から20円程度だったと伝えられています。1冊を買う金額で、同じ本を何度も、あるいは何冊も借りて読めるという計算になり、お小遣いの限られた子どもたちにとって、貸本屋は圧倒的に「お得」な選択肢でした。
当時の貸本漫画は基本的に一般の書店では流通しておらず、貸本屋という専用の販路そのものが、この価格差を成立させる仕組みになっていたとされています。
書店で売られる本を「所有」するのではなく、貸本屋で「利用」するという発想そのものが、限られたお小遣いの中で娯楽を最大化する工夫だったといえます。

貸本屋を利用していたのは、どんな子どもたちか
貸本屋というと、本を買う余裕のない子どもたちが利用する場所というイメージを持つ人もいるかもしれません。
しかし上原龍一氏の記事によれば、1955年(昭和30年)に東京都中野区の野方小学校で行われた調査では、6年生の約52%、5年生の約60%が貸本屋を利用した経験があると回答したとされています。
同記事は、貸本屋の利用者は本を買えない子どもに限らず、月刊誌を定期的に買うような子どもたちも含まれていたと指摘しています。
この調査結果から、貸本屋は特定の家庭の子どもだけでなく、学年の半数以上が利用する、ごく身近な娯楽の選択肢のひとつだったことがうかがえます。
1冊を買うか、複数冊を借りるか、あるいはその両方かという選び方自体が、当時の子どもたちにとって、限られたお小遣いをどう使うかという身近な判断の対象になっていたと考えられます。
貸本屋だけの漫画、貸本漫画という文化
貸本屋の発展とともに生まれたのが、貸本屋専用に描かれた「貸本漫画」という独自のジャンルです。書店で売られる雑誌漫画とは別に、貸本屋向けに直接描き下ろされる単行本が数多く制作されました。
松田書店によれば、貸本漫画の単行本は最低でも130ページ程度のボリュームがあるのが通例で、初期はB6判またはA5判の上製本(ハードカバー)が主流でしたが、のちに持ち運びやすさなどを理由に並製本(ソフトカバー)へ移行していったとされています。
雑誌のように毎号薄い形ではなく、単行本としてまとまった分量を持たせていたことは、繰り返し貸し出しても傷みにくい、持ち運びしやすいという貸本ならではの実用的な事情とも関係していたと考えられます。

「劇画」を生んだ、貸本漫画の版元
貸本漫画から世に出た代表的な描き手として、水木しげるやつげ義春の名がよく知られています。
つげ義春が貸本漫画を描き始めたのは1955年(昭和30年)頃とされ、この時期から貸本屋そのものが急増していったと伝えられています。
貸本漫画を専門に手がけた出版社は東京・関西を中心に数多く存在し、松田書店によれば、東京の東考社(ホームラン文庫)・兎月書房・東京漫画出版社、関西の日の丸文庫(大阪)のほか、ひばり書房・若木書房・セントラル文庫といったレーベルも知られていたとされています。
中でも日の丸文庫が発行した短編集『影』は、辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを、松本正彦ら後の劇画作家たちの作品を掲載しており、映画的なコマ割りや大人向けの重い題材を扱う「劇画」というジャンルのルーツのひとつとされています。
書店中心の商業出版とは異なる自由度が、まだ確立していなかった表現を試す場になっていたことが、貸本漫画から新しいジャンルが生まれた背景にあったと考えられます。
水木しげる自身の貸本漫画デビュー作は『ロケットマン』とされ、講談社公式によれば1958年2月25日に兎月書房から刊行されたといいます。それまで紙芝居作家として活動していた水木が、この時期に貸本漫画の世界へ活動の場を移していたことになり、貸本屋という舞台がなければ、後の『ゲゲゲの鬼太郎』もまた違う形で生まれていたかもしれません。
出典:筑摩書房「つげ義春」著者ページ/松田書店「貸本漫画漫画の定義と歴史的背景」/「貸本漫画」Wikipedia/講談社公式「水木しげる漫画大全集001 貸本漫画集〔1〕ロケットマン 他」商品ページ(収録作品欄)/「ロケットマン(水木しげるの漫画)」Wikipedia
最盛期には全国3万店とも
貸本屋・貸本漫画の最盛期は1950年代末から1960年頃だったとされます。国立国会図書館レファレンス協同データベースによれば、『少年マンガの世界Ⅱ』(米沢嘉博構成、平凡社)という書籍に「昭和30年頃には全国3万軒にも及んだ」という記載があるといいます。文具店や駄菓子店との兼業も含めると、松田書店・ムゲンホンダナによれば東京都だけでも約3,000店の貸本屋があったと推計されています。
松田書店によれば、貸本屋の多くは個人経営の小規模な店で、文具店・駄菓子屋・雑貨店などが片手間で貸本コーナーを設けている例も多く見られたとされています。
特別な資格や大きな元手を必要としない商売だったこともあり、住宅街の一角や商店街の中に、当たり前のように貸本屋が存在していた時代でした。
「全国3万店」といわれてもピンとこない場合は、今の身近な店舗数と比べてみると、規模感をつかむ参考になるかもしれません。集計の年や範囲が異なるため厳密な比較ではありませんが、参考までに、Yahoo!ニュース エキスパートの記事によれば、セブン-イレブン・ファミリーマート・ローソンの主要3チェーンを合わせた店舗数は約5万2,600店(2025年9月時点)とされています。貸本屋の最盛期も、それに近い桁の店が、全国の住宅街のあちこちに散らばっていたことになります。
出典:国立国会図書館レファレンス協同データベース「昭和30年代頃に流行った貸本マンガの歴史について知りたい。」/ムゲンホンダナ「貸本漫画の滅んだ本当の理由を解き明かしちゃうぞ」/松田書店「貸本漫画漫画の定義と歴史的背景」/Yahoo!ニュース エキスパート 不破雷蔵「トップはセブン-イレブンの2万1591店…コンビニ店舗数の現状をさぐる」(2025年9月時点)
テレビの普及とともに、姿を消していった貸本屋
貸本屋・貸本漫画は、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの前後を境に急速に衰退していったとされています。
テレビが一般家庭に普及し、若者向けの娯楽の中心が誌面から映像へと移っていったことが、衰退の大きな要因のひとつとされています。
加えて、週刊少年漫画誌が次々と創刊され、書店で手軽に漫画雑誌を買える環境が整っていったことも、貸本屋という業態そのものの存在意義を薄れさせていったと考えられます。国立国会図書館レファレンス協同データベースでも、貸本屋衰退の要因として週刊誌の普及とテレビ視聴の増加が挙げられており、単一の原因ではなく複数の変化が重なっていたことがうかがえます。
Google Arts & Cultureの記事によれば、1955年(昭和30年)頃には「悪書追放運動」と呼ばれる社会的な動きが強まり、鳩山一郎首相が施政方針演説で言及したほか、日本子どもを守る会や東京母の会連合会といった団体、新聞各紙も参加し、『鉄腕アトム』『赤胴鈴之助』など当時の人気作品も批判の対象になったとされています。
貸本漫画も当時の漫画文化の一角を占めていた以上、こうした逆風と無縁ではいられなかったと考えられ、テレビの普及や雑誌の週刊化に加えて、漫画そのものへの社会的な視線の変化も、貸本屋を取り巻く環境を変えていった一因だったといえます。
出典:国立国会図書館レファレンス協同データベース「昭和30年代頃に流行った貸本マンガの歴史について知りたい。」/ムゲンホンダナ「貸本漫画の滅んだ本当の理由を解き明かしちゃうぞ」/Google Arts & Culture「マンガを読むのはいけないこと? マンガ規制の年代記」
今に受け継がれる、貸して読む文化
昭和の貸本屋という業態そのものはほとんど姿を消しましたが、「本を買わずに借りて読む」という発想そのものは形を変えて残っています。
ホームメイトの記事によれば、レンタルビデオ店での漫画レンタルや、漫画喫茶、電子書籍による電子貸本サービスなど、当時の貸本屋が担っていた役割は、現代の様々なサービスへ形を変えて受け継がれているとされています。
同記事によれば、ゲオやTSUTAYA DIDCASのような現代のレンタルコミック事業者は、関東・関西にそれぞれ配送拠点を構え、離島などを除く全国の家庭へ通信レンタルを届ける仕組みを整えているとされ、店舗を構えて一軒ずつ回っていた昭和の貸本屋とは異なる形で、全国規模の「借りて読む」仕組みが成立しています。
また同記事によれば、佐賀県武雄市の市立図書館は2013年、TSUTAYAと提携し、コーヒーサービスやポイント制度を備えた年中無休のハイブリッド型図書館としてリニューアルしており、公共図書館と民間のレンタル文化が組み合わさる新しい形も生まれているとされています。
かつて住宅街の一角にあった貸本屋は姿を消しましたが、「所有せずに楽しむ」という発想そのものは、配送網や図書館という異なる形を得ながら今も生き続けているといえます。
紙焼けした表紙と、返却期限を気にした記憶
何度も貸し出された貸本漫画は、表紙が日に焼け、ページの端が丸くなっていることも珍しくありませんでした。真新しい本ではなく、たくさんの人の手を渡ってきた1冊だとわかる、あの独特の手ざわりや匂いを覚えている人もいるはずです。
借りた本を読み終えて返しに行くまでの数日間、続きが気になりながらも「早く返さなくては」と時間を気にした記憶、貸本屋の棚の前でどれを借りるか友達と相談した記憶。
テレビもインターネットもなかった時代、貸本屋の棚に並んだ1冊1冊は、少ないお小遣いで楽しめる娯楽そのものであり、多くの子どもたちの放課後を彩っていました。
「買わずに借りる」という発想が、江戸時代の行商から昭和の店舗、そして現代の配信サービスまで形を変えながら受け継がれてきたことを思うと、貸本屋の棚の前で次の1冊を選んでいたあの時間も、長い歴史の1コマだったことになります。
あわせて読みたい
同じ頃の街の商店については昭和の駄菓子屋の記憶、路上の娯楽については街頭紙芝居が来た日でもたどれます。
あなたが子どもの頃の貸本屋は?
生まれ年を選ぶと、あなたが子どもだった頃の年代・年齢帯にまつわるページへのリンクを表示します。
これ覚えてる?
学校・地域・年代によって内容は異なります。あなたの記憶と重なるものはありますか?
- 貸本屋で漫画や本を借りた記憶はありますか?
- 貸本屋の店先の様子を覚えていますか?
- 貸本屋がいつの間にか姿を消したと感じたことはありますか?
出典・注意事項
本ページは、筑摩書房、講談社公式、国立国会図書館レファレンス協同データベース、Wikipedia「貸本漫画」「ロケットマン(水木しげるの漫画)」、ムゲンホンダナ、松田書店、ホームメイト、Yahoo!ニュース エキスパート、note.com(上原龍一氏)、Google Arts & Cultureの記事をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。
ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。