グリコのおまけとは?小さなおもちゃが子どもを夢中にした理由

公開日:2026年9月6日

お菓子の箱からおまけの小さな玩具を取り出し喜ぶ子どものイメージ

※AIによるイメージ画像です

キャラメルの箱を開けたとき、お菓子よりも先に小さなおもちゃを取り出した記憶はありませんか。

「グリコのおまけ」と呼ばれるあの小さなおもちゃが、いつごろから存在し、誰の手によって作られ、時代とともにどう移り変わってきたのかを、江崎グリコ公式の資料をもとにたどります。

グリコのおまけとは?キャラメルに同封された小さなおもちゃ

グリコのおまけは、江崎グリコのキャラメル「グリコ」の箱に同封されている、小さなおもちゃです。同社の公式サイトでは、これを単なる「おまけ」ではなく、お菓子を食べることと同じくらい大切な「おもちゃ」として位置づけていると紹介されています。

同サイトによれば、この位置づけの根っこには「『食べる』と『遊ぶ』は子どもの二大天職」という考え方があるといいます。「お菓子を食べる」ことと「おもちゃで遊ぶ」ことのどちらも、子どもにとって同じくらい大切な営みであるという発想から、同社は付属のおもちゃをあくまで「おもちゃ」と呼び、単なる添え物としての「おまけ」という言葉を使わないという立場を取っているとされています。

出典:江崎グリコ公式「55億個のおもちゃに宿る、創意工夫の精神」

1922年の絵カードから、1929年の「おもちゃ小箱」へ

江崎グリコ公式サイトによれば、おまけの歴史は1922年、キャラメルに「絵カード」が付属されたことに始まります。1929年には現在の定番スタイルにつながる「おもちゃ小箱」が登場したとされ、以来一貫して「お菓子とおもちゃ」を組み合わせた形で親しまれてきました。

江崎グリコ公式の別ページによれば、1927年以降は小さなおもちゃそのものを封入する形が始まり、1930年には造幣局に60万個のメダルおもちゃを発注したという記録も残っています。国の造幣局にまとまった数量を発注するほどの規模で、初期のおまけづくりが行われていたことがわかります。

出典:江崎グリコ公式「55億個のおもちゃに宿る、創意工夫の精神」/江崎グリコ公式「『食べる』と『遊ぶ』を一箱に!グリコの歴代おもちゃを振り返る」

時代とともに移り変わった、おまけの素材とデザイン

同サイトによれば、戦後の物資が不足していた時期には、紙や粘土、ゴムなどを使ったクレヨンや消しゴム、チョークといった実用的な小物が喜ばれました。1958年以降はセルロイドからプラスチックへと素材が移り変わり、飛行機や車、家電など、当時子どもたちが憧れた品々を立体的な玩具として再現できるようになったといいます。昭和40年代(1965年〜)にはミニカーや怪獣といった、集めて楽しむコレクタブルなおまけが流行しました。

出典:江崎グリコ公式「55億個のおもちゃに宿る、創意工夫の精神」

小さなおまけの玩具を箱から取り出す手元のクローズアップのイメージ
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です。実在の商品・意匠を再現したものではありません

3000種類を生み出した男、宮本順三という存在

和樂webの記事によれば、こうした時代ごとの移り変わりを支えた中心人物の一人が、1935年に入社し、1980年代まで本格的におまけの企画・開発に携わった宮本順三氏でした。晩年に至るまでおまけへの関わりを続け、生涯で手がけた作品は約3000種類にのぼるといいます。万華鏡・合わせ鏡・着せ替え人形・虫めがねといった昭和前期の作品から、戦後は自動車・オートバイ・消防車といった乗り物、電化の時代を反映した洗濯機・冷蔵庫・テレビなど、時代を映す品々を次々と手がけていきました。

同記事によれば、宮本氏が数多くの種類を生み出せた背景には、幼少期から郷土玩具を含む多種多様なおもちゃの魅力に開眼し、生涯にわたって玩具を収集し続けていたという土台がありました。また、実際に子どもたちの嗜好調査を行い、「感覚」「情操」「知能」を発育させるおまけを作るという明確な理念を持って企画にあたっていたとも紹介されています。単に当時の流行を追いかけていたのではなく、子どもの育ちにとって何が必要かという観点から、一つひとつのおまけが作られていたことがわかります。

同記事によれば、2002年に移転した宮本氏の資料館「豆玩舎(まめがんしゃ)ZUNZO」は、現在もNPO法人によって運営されており、氏の作品や玩具の収集品が展示・保存されているといいます。おもちゃ作り教室も開催されており、一人のデザイナーが積み重ねてきた仕事が、文化的な遺産として今も受け継がれていることがうかがえます。

出典:和樂web「生み出した『おまけ』は約3000種類!『グリコのおまけ』の一時代を築いた男、宮本順三」

「子どもの世界」を見つめ続けたものづくり

江崎グリコ公式サイトによれば、創業者の江崎利一は「子どもの世界を真剣に見つめ、遊びから広がる豊かな世界を願う」という思いを持っていたといいます。その時々の子どもたちの憧れやニーズを反映させながらおまけを作り続けてきたことが、約55億個ものおまけが生み出されてきた背景にあると紹介されています。

同サイトでは、おまけが子どもにもたらすものを「ワクワク」というエネルギーとして表現しており、この気持ちが想像力や学ぶことへの意欲を刺激する役割を担ってきたと位置づけています。箱を開ける瞬間の期待感そのものが、お菓子の味とはまた別の、子どもの心を動かす体験として意図的に作り込まれてきたということがわかります。宮本氏が掲げた「感覚・情操・知能」という理念とも重なる考え方であり、単なる添え物ではなく、子どもの育ちに資するものという位置づけが、企業として一貫して守られてきたことがうかがえます。

出典:江崎グリコ公式「55億個のおもちゃに宿る、創意工夫の精神」

男の子には車、女の子には家事道具。時代の暮らしを映した小箱

江崎グリコ公式の別ページによれば、高度経済成長期のおまけには、当時の暮らしの変化がそのまま反映されていました。男の子向けにはセダンやスポーツカー、高級外車といった、街を走る自動車をかたどったミニカーが、女の子向けには「親指ほどの小さなキッチンや三面鏡、電子レンジ」など、家庭にあこがれの家電が増えていく様子を映したミニチュアが、それぞれ用意されていたといいます。手のひらに収まる小さなおもちゃが、当時の家庭や街の姿を映す鏡になっていたことがわかります。

同ページによれば、おもちゃづくりには「悲しいことを連想させるようなモノは作らない」という約束ごとがあったとも紹介されています。子どもの手に渡るものだからこそ、どんな時代のどんなおもちゃであっても、見た瞬間に楽しい気持ちになれるものであることを大切にしてきた、という姿勢がうかがえます。

出典:江崎グリコ公式「昭和40年代〜高度成長期の世相を反映したグリコのおもちゃたち。」

なぜ「豪華な景品」ではなく、小さなおもちゃなのか

全国公正取引協議会連合会の解説によれば、お菓子など商品に付ける景品は、景品表示法上の「総付景品」として規制の対象になっています。取引価額が1,000円未満の場合、景品として提供できる上限額は最高200円までと定められており、キャラメル1個の価格を考えれば、おまけの価値がおのずと小さなものにとどまる仕組みになっていることがわかります。

この法律は昭和37年(1962年)、過大な景品による不当な顧客誘引を防ぎ、公正な競争を確保する目的で制定されました(制定当初は公正取引委員会の所管で、平成21年に消費者庁へ移管されています)。グリコのおまけが、時代によって素材やデザインを変えながらも一貫して「手のひらに収まる小さなおもちゃ」であり続けてきたのは、単に企業の方針だけによるものではなく、こうした景品規制という社会的な枠組みの中で工夫を重ねてきた結果でもあったと考えられます。

出典:全国公正取引協議会連合会「景品表示法とは」(総付景品の規制)

お菓子とおもちゃを組み合わせる文化のはじまり

MIDDLE EDGEの記事によれば、お菓子におもちゃを添えるという発想自体は、グリコが最初というわけではないという見方があります。1899年(明治32年)、村井兄弟商会のタバコに、トランプや花札、軍人の写真などを描いた「タバコカード」が付けられたのが、日本における商業的な「食べ物+おもちゃ」の実質的な始まりだったとされています。この見方が正しければ、グリコのおまけは、それ以前からあった「買い物にちょっとした楽しみを添える」という商習慣を、お菓子という子どもに近い商品分野で独自に発展させたものだったといえます。

江崎グリコ公式の別ページによれば、大正・昭和・平成を通じて生み出されたおもちゃは約3万種類にのぼるとされています。約55億個という総数と合わせて考えると、単発のヒット商品ではなく、100年以上にわたって種類を増やしながら継続してきた、規模の大きな取り組みだったことがうかがえます。

出典:MIDDLE EDGE「【食玩の歴史】おまけが主役!」/江崎グリコ公式「『食べる』と『遊ぶ』を一箱に!グリコの歴代おもちゃを振り返る」

2001年、「大人向きグリコ」が昭和ブームの火をつけた

江崎グリコ公式のニュースリリースによれば、2001年から2005年にかけて「懐かしい20世紀へタイムスリップ」をテーマにした『タイムスリップグリコ』が、「大人向きグリコ」として展開されました。フィギュアの造形企画製作で知られる株式会社海洋堂と企画制作した精密なフィギュアが封入され、昭和30〜40年代の乗り物や電化製品、「鉄人28号」などのキャラクター、大阪万博をテーマにした全85点が製作されたといいます。

同リリースによれば、このシリーズは大ヒットし、「当時の昭和ブームのきっかけにもなった」と、江崎グリコ自身が位置づけています。かつて子ども向けのおまけとして親しまれてきたグリコの玩具が、精密なフィギュアという形に生まれ変わることで、子ども時代を懐かしむ大人たちの心をとらえたということです。2022年の「クリエイターズグリコ」で海洋堂と再びタッグを組んだのも、この2001年から始まった協業の延長線上にある取り組みだったといえます。

出典:江崎グリコ公式ニュースリリース「『江崎記念館』で『タイムスリップグリコ』展を開催」

プラスチックからAR(拡張現実)へ。今も続く「おもちゃ」の進化

日本経済新聞の記事によれば、江崎グリコは2017年3月28日、動物をテーマにした木のおもちゃとスマートフォン向けアプリを組み合わせた「アソビグリコ」を発売しました。専用アプリでおもちゃにカメラをかざすと、まるで命が吹き込まれたように、画面の中で木のおもちゃが自由に動き回るという仕組みで、動物の生態を学びながら楽しめる工夫が施されています。1958年のプラスチック化に続く、素材とデジタル技術を組み合わせたもう一つの転換点だったといえます。

AR-GOの記事によれば、グリコ発売100周年にあたる2022年11月22日には「クリエイターズグリコ」が発売されました。建築家の隈研吾氏やゲームクリエイターの堀井雄二氏を含む、日本を代表するクリエイター10名が「グリコの思い出」をテーマにデザインし、世界的なフィギュアメーカーである株式会社海洋堂が造形を手がけたといいます。専用QRコードをスマートフォンで読み取ると、おもちゃの3DCGがARで出現し、360度好きな角度から鑑賞したり撮影したりできる仕掛けも用意されていました。

手のひらに収まる小さな玩具から始まったグリコのおまけは、木製の教材、そして著名なクリエイターとのコラボレーション作品へと、100年の間に形を変えながら「食べると遊ぶ」という原点を保ち続けてきたことがわかります。時代とともに素材や対象年齢を広げ、ときには社会現象を巻き起こすほどの存在になっていった歩みは、日本のお菓子文化の中でも独自の位置を占める事例といえるでしょう。

出典:日本経済新聞「江崎グリコ、アプリで遊べて学べる木のおもちゃとセットになった『グリコ』を発売」(2017年3月)/AR-GO「グリコ100周年記念特別商品『クリエイターズグリコ』にARを導入」

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出典・注意事項

本ページは、江崎グリコ公式サイト「55億個のおもちゃに宿る、創意工夫の精神」をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。「グリコ」は江崎グリコ株式会社の商標・ブランド名です。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。