ラジオ体操の記憶|夏休みの朝、スタンプを集めた思い出

公開日:2026年9月3日 更新日:2026年9月11日

夏休みの朝、公園に集まった子どもたちがラジオ体操をしている情景のイメージ画像(特定の団体・スタンプデザインの再現ではありません)

※AIによるイメージ画像です

眠い目をこすりながら公園や広場に集まり、体操が終わるとカードにスタンプを押してもらう——夏休みの朝の、そんな光景を覚えている人も多いのではないでしょうか。

「ラジオ体操」は、1928年の制定から90年以上続く体操です。このページでは、ラジオ体操がどう生まれ、戦争や放送の中断を経てどのように今の形になり、夏休みの恒例行事としてどう親しまれてきたのかを、かんぽ生命・全国ラジオ体操連盟・国立公文書館の資料をもとにたどります。

1928年、「国民保健体操」として誕生

全国ラジオ体操連盟公式サイトによれば、逓信省簡易保険局の猪熊氏が、アメリカの生命保険会社が行っていたラジオ体操企画に着目したことが、日本のラジオ体操の出発点だったといいます。「国民の健康保持に基く社会的幸福増進事業」として、日本向けに独自の体操を企画したのが始まりでした。

かんぽ生命公式によれば、1927年には早くも「老若男女を問わず、誰にでも平易にできる」運動を開発しようという提唱がなされていたといいます。米国の事例を知ってすぐに体操を作ったわけではなく、どんな体操なら日本の幅広い世代に受け入れられるかを検討する期間があったことがうかがえます。

かんぽ生命公式によれば、昭和3年(1928年)9月、簡易保険局が中心となり、日本放送協会・文部省の協力を得て旧ラジオ体操第一が制定され、同年11月1日から東京中央放送局で朝7時の放送が始まりました。この年は昭和天皇の即位の礼(御大典)にあたり、これを記念する事業の一つとしてラジオ体操が位置づけられていたとも紹介されています。

米国の事例を参考にはしましたが、そのまま輸入したわけではなく、日本の職員が現地の企画に着目したうえで、日本向けの体操として独自に作り上げていった経緯だったことになります。

出典:かんぽ生命保険公式「ラジオ体操の歴史」/NPO法人全国ラジオ体操連盟公式サイト「ラジオ体操の歴史」

なぜラジオで体操を流したのか

かんぽ生命公式によれば、この体操が企画された目的は、簡易保険の宣伝と、加入者を含めた国民全体の健康意識を高めることの両方にあったといいます。保険会社が「健康」をテーマにした番組を後押しするという発想自体、当時としては新しい試みでした。

全国ラジオ体操連盟公式サイトによれば、ラジオの号令や図解だけでは体操の動きは十分に伝わらず、全国の郵便局員が講習会などを通じて人々に直接伝える役割を担ったといいます。ラジオという新しいメディアと、郵便局員による対面の指導という2つの手段が組み合わさって、体操が全国へ浸透していった様子がうかがえます。

同連盟公式サイトによれば、講習会だけでなく、映画やレコード、小冊子といったさまざまな媒体も使いながら、体操の動きを人々に伝える工夫が重ねられていったといいます。ラジオという音声だけのメディアが体操を広めるうえでは、こうした複数の手段を組み合わせる必要があったことになります。

出典:かんぽ生命保険公式「ラジオ体操の歴史」/NPO法人全国ラジオ体操連盟公式サイト「ラジオ体操の歴史」

戦前、全国へ広がっていく

かんぽ生命公式によれば、1930年代にかけて全国放送化が進み、「ラジオ体操の会」が全国各地に広がっていきました。1932年7月には「全国ラジオ体操の会」という取り組みも始まっています。

全国ラジオ体操連盟公式の年表によれば、この「全国ラジオ体操の会」は延べ参加人員2,593万人を数えたと記録されています。同じ1932年には職場向けの「第二」も制定されており、ラジオ放送だけでなく、学校や職場、地域それぞれの現場でこの体操の会に参加する人が積み重なっていった様子がうかがえます。

国立公文書館アジア歴史資料センターによれば、戦時中には国旗掲揚・国歌斉唱・宮城遥拝とラジオ体操が連続して行われる形で実施され、日本の植民地や占領地でも普及が図られたと紹介されています。健康のための体操として始まったラジオ体操が、時代の流れの中で、国家的な行事の一部としての性格も帯びていったことがうかがえます。

同センターによれば、当時の記録は「写真週報」などの資料にも残されており、大規模な体操大会や占領地での実施の様子が写真として記録されているといいます。健康法として広まったラジオ体操が、国内だけでなく国外にまで及ぶ規模で行われていたことがわかります。

出典:かんぽ生命保険公式「ラジオ体操の歴史」/国立公文書館アジア歴史資料センター「ラジオ体操は戦前からあったの?」/NPO法人全国ラジオ体操連盟公式サイト「ラジオ体操の歴史(年表)」

学校の朝礼、そして職場の朝にも

国立公文書館アジア歴史資料センターによれば、1928年11月に東京放送局で放送が始まると、早い段階から小中学校の朝礼体操として普及していったといいます。教室で顔を合わせる前に、校庭で体を動かしてから1日を始めるという習慣が、この時期に根付いていったことになります。

職場への定着は今も続いており、一般財団法人簡易保険加入者協会が委託した調査によれば、全国の建設業・運輸業関係企業のうち56.9%が何らかの形でラジオ体操を実施していると報告されています。同調査によれば、導入している理由としては「日常生活での事故防止に役立つ」が75.1%、「健康を維持・増進できる」が69.8%と、上位に挙げられているといいます。

学校の朝礼から始まったラジオ体操が、今では現場の安全対策としても職場に根付いている——90年以上前に簡易保険局が目指した「国民全体の健康意識を高める」という狙いは、形を変えながら今の職場にも届いているといえそうです。

出典:国立公文書館アジア歴史資料センター「ラジオ体操は戦前からあったの?」/一般財団法人簡易保険加入者協会委託調査「平成23年度ラジオ体操事業調査研究 全国建設業・運輸業関係企業におけるラジオ体操の普及状況調査」

戦後、一度姿を消したラジオ体操

かんぽ生命公式によれば、ラジオ体操は1945年8月に一度中止されましたが、数日後には再開されました。

郵政博物館公式によれば、終戦後はGHQ(連合国軍最高司令部)の干渉を受ける中で、簡易保険局とNHKが体操の継続に努めたといい、この状況が体操の作り直しにつながっていったと紹介されています。1946年4月には、号令をなくし伴奏をワルツ調に変えるなど大きく形を変えた「新ラジオ体操」が第一から第三まで制定・放送されました。

同館によれば、この新体操が広まらなかった背景には、戦後の混乱期でそれどころではなかった人が多かったこと、振り付けが複雑で難しかったこと、放送時間が不規則だったことなど、複数の要因があったと紹介されています。単一の理由ではなく、いくつもの事情が重なって定着しなかったことになります。1947年8月には、この新体操の放送も中止されました。

戦前に全国へ広まっていたラジオ体操が、戦後まもなくの数年間は、実は一度放送を止めていた時期があったことになります。今のラジオ体操が「戦前から変わらず続いてきた」わけではなく、一度途切れた後に作り直された体操だという点は、あまり知られていないかもしれません。

1928年の旧体操(第一・第二)から数えると、1946年の新ラジオ体操(第一〜第三)は2代目にあたります。しかしこの2代目は短命に終わり、1947年の放送中止から1951年の現行第一制定までの間、ラジオ体操の放送そのものが存在しない期間があったことになります。

出典:かんぽ生命保険公式「ラジオ体操の歴史」/郵政博物館公式サイト「まぼろしのラジオ体操レコード」/NPO法人全国ラジオ体操連盟公式サイト「ラジオ体操の歴史(年表)」

現在の「第一」「第二」が生まれる

かんぽ生命公式によれば、1951年5月に現在のラジオ体操第一が制定・放送開始され、翌1952年6月には職場向けの第二も制定されました。

全国ラジオ体操連盟公式サイトによれば、今よく知られているこの体操は、1928年の旧ラジオ体操、1946年の新ラジオ体操に続く3代目にあたるといいます。つまり、今も毎朝流れているラジオ体操第一は、90年以上前の体操がそのまま続いているのではなく、戦後に生まれ変わった体操だということになります。

職場向けの体操として1932年に制定された旧第二も、この戦後の作り直しにあわせて新しく生まれ変わり、1952年に現行の第二として放送が始まりました。第一と第二という2種類の体操が、それぞれ別の年に制定されたものだったことになります。

全国ラジオ体操連盟公式サイトによれば、第一は「いつでも、どこでも、だれでも」行えるように一般家庭を対象につくられ、運動強度はそれほど高くありません。一方の第二は職場向けに青年・壮年層を対象としてつくられ、第一よりも運動強度が高いという違いがあるといいます。同じラジオ体操という名前でも、想定されている担い手は最初から異なっていたことになります。

出典:かんぽ生命保険公式「ラジオ体操の歴史」/NPO法人全国ラジオ体操連盟公式サイト「ラジオ体操の歴史」

夏休みの朝、集まってスタンプを押した記憶

かんぽ生命公式によれば、1953年7月から「夏期巡回ラジオ体操会」が全国各地で始まり、1962年には「1000万人ラジオ体操祭」も開催されるようになりました。多くの人にとってラジオ体操の記憶といえば、夏休みの朝、地域の公園や広場に集まって体を動かした思い出ではないでしょうか。

体操が終わると、首から下げたカードに一つずつスタンプを押してもらう——そんな恒例行事として、多くの家庭で親しまれてきました。眠い目をこすりながら家を出て、友達と顔を合わせる。ラジオ体操は、夏休みの朝を彩る風物詩の一つでした。

かんぽ生命公式によれば、このスタンプを押す「ラジオ体操出席カード」は、1952年から毎年かんぽ生命が作成し、全国の子どもたちに配布しているといいます。「子どもたちが夏休みの期間中も、早起きで規則正しい生活を送ってほしい」という思いから始まったカードだと紹介されています。

1953年の巡回開始から1962年の1000万人ラジオ体操祭まで、10年に満たない期間で参加規模が大きく広がっていったことになります。地域ごとに小さく開かれていた体操会が、いつしか全国規模の行事へと育っていった様子がうかがえます。

出典:かんぽ生命保険公式「ラジオ体操の歴史」

夏休みの朝、子どもたちがカードにスタンプを押してもらっている情景のイメージ画像(特定の団体・スタンプデザインの再現ではありません)
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

日本だけではない、海外に広まったラジオ体操

全国ラジオ体操連盟公式サイトによれば、ブラジルやペルーなど南米の日系移民の間でもラジオ体操が行われており、ブラジルには専用の「ラジオ体操連盟」も設立され、活動を続けているといいます。

米国のメトロポリタン生命保険の企画をきっかけに生まれたラジオ体操が、今度は日本から世界の日系社会へ伝わっていったことになります。同連盟公式サイトによれば、ラジオ体操の参考になった米国では、現在この体操を放送している局は見当たらないともいいます。生まれた国では姿を消し、伝わった先の国では今も続いているというのは、少し不思議な巡り合わせです。

出典:NPO法人全国ラジオ体操連盟公式サイト「海外でのラジオ体操」

今も続く、地域のラジオ体操

かんぽ生命公式によれば、現在も「巡回ラジオ体操・みんなの体操会」として、夏期を中心に全国各地でNHKラジオ第1の生放送にあわせた体操会が開催されています。

全国ラジオ体操連盟公式サイトによれば、NHKラジオ第1では現在も毎日午前6時30分から6時40分にラジオ体操が放送されています。夏休みの巡回体操会だけでなく、1年を通じて毎朝欠かさず放送され続けているという継続性そのものが、この体操の大きな特徴だといえるでしょう。

米国の事例をきっかけに始まり、戦時中は国家的な行事の一部となり、戦後は一度姿を消してから作り直され、そして夏休みの朝の恒例行事として定着した——ラジオ体操は、時代ごとの役割を変えながら90年以上受け継がれてきた体操だといえます。

簡易保険の宣伝という目的から始まり、健康法として、国家行事の一部として、そして学校の朝礼や職場の安全対策として——同じ体操が、時代ごとにまったく違う理由で必要とされ続けてきたことになります。夏休みの朝、眠い目をこすりながら向かった公園の体操会は、そうした長い歴史の、ほんの一場面だったのかもしれません。

出典:かんぽ生命「巡回ラジオ体操・みんなの体操会」/NPO法人全国ラジオ体操連盟公式サイト「ラジオ体操の歴史」

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出典・注意事項

本ページは、かんぽ生命保険公式・全国ラジオ体操連盟公式・国立公文書館アジア歴史資料センター・郵政博物館公式サイトの資料をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。全国放送化の時期については資料により説明の力点が異なるため、特定の年を断定的に扱わず、確認できた範囲の記述に留めています。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。