銭湯の歴史|家庭にお風呂がなかった時代の入浴文化

公開日:2026年9月6日

夕方、洗面器を持って銭湯へ向かう家族のイメージ。

※AIによるイメージ画像です

下駄箱に靴をしまい、暖簾をくぐって番台に挨拶をした——そんな記憶はありませんか。

家庭にお風呂がない家も多かった時代、多くの人が通った「銭湯」が、どのような歴史をたどり、なぜ減少していったのかを、業界団体の資料をもとにたどります。

銭湯とは?お金を払って入る公衆浴場

銭湯は、お金を払って利用する公衆浴場です。自宅に浴室のない家庭も多かった時代、体を洗い温まる場としてだけでなく、近所の人との立ち話や、子どもたちが顔なじみになる場としても、地域生活に欠かせない存在でした。

起源は寺院の施浴とされる

東京銭湯/東京都浴場組合公式サイトによれば、日本の入浴文化は寺院が病人や貧しい人々に浴室を開放した「施浴」に始まるとされ、鎌倉・室町時代を経て、江戸時代に庶民の間に銭湯という形で広まっていったと紹介されています。江戸時代には男女が一緒に入る混浴の銭湯も多く、庶民の社交場としての役割も担っていたとされています。ここで紹介されている古代・中世の歴史は、同組合自身が体験した出来事ではなく、一般的な歴史解説として紹介されているものです。

出典:東京銭湯/東京都浴場組合公式「銭湯の歴史」

昭和30〜40年代、全国で約1万8000軒のピーク

東京都浴場組合公式サイトによれば、銭湯は昭和30〜40年代(1950〜70年代)にピークを迎え、全国で約1万8000軒が営業していたとされています。この時期は、多くの家庭にまだ内風呂がなく、銭湯が日常生活に欠かせない場所だったことを示す数字といえます。この統計は同組合自身が業界の実情として把握している情報です。

出典:東京銭湯/東京都浴場組合公式「銭湯の歴史」

銭湯のロビー・番台のある空間で人々が過ごす様子のイメージ。
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

家庭風呂の普及とともに数を減らす

東京都浴場組合公式サイトによれば、その後は家庭用風呂の普及、都市開発、後継者不足などにより、銭湯の数は少しずつ減少していったとされています。かつて多くの家庭が当たり前のように利用していた銭湯は、生活様式の変化とともに、その役割を少しずつ終えていきました。

出典:東京銭湯/東京都浴場組合公式「銭湯の歴史」

番台と湯気が呼び起こす記憶

番台に座る顔なじみの人と挨拶を交わし、湯船で近所の人と何気ない話をした経験がある人も多いのではないでしょうか。家のお風呂とは違う、大きな湯船と高い天井、湯気の匂いは、銭湯ならではの記憶として残っています。

あなたが子どもの頃のお風呂は?

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これ覚えてる?

学校・地域・年代によって内容は異なります。あなたの記憶と重なるものはありますか?

  • 近所の銭湯に通った記憶はありますか?
  • 番台やお湯の温度など、印象に残っていることはありますか?
  • 家にお風呂ができたのはいつ頃でしたか?

出典・注意事項

本ページは、東京銭湯/東京都浴場組合公式サイトの「銭湯の歴史」をもとに構成しています。昭和30〜40年代のピークや家庭風呂普及による減少といった近現代の業界の実情については同組合自身の情報として、奈良時代の施浴等の古代・中世史については同組合による一般的な歴史解説として、それぞれ性質を区別して紹介しています。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。