集団就職列車とは?「金の卵」と呼ばれた若者たちの旅立ち

公開日:2026年9月6日

地方から都市部へ向かう集団就職列車を見送る人々のイメージ。

※AIによるイメージ画像です

駅のホームで見送りを受けながら、故郷を離れて列車に乗り込んだ若者たちがいたことを、写真や映像で見たことはありませんか。

「集団就職列車」と呼ばれるこの臨時列車が、なぜ運行され、なぜ姿を消していったのかを、NHKアーカイブスや学術資料をもとにたどります。

集団就職列車とは?地方の若者を都市部へ運んだ臨時列車

NHK公式「回想法ライブラリー」によれば、集団就職列車は、高度経済成長を支えた「金の卵」と呼ばれる中学卒業生を、地方から都会の就職先へと運んだ臨時列車です。中学卒業生の多くは、親元や住み慣れた土地を離れ、小さな町や村から都市部の工場・商店へと集団で就職していったと紹介されています。

出典:NHK公式「回想法ライブラリー」集団就職

「金の卵」と呼ばれた労働力

産経新聞の記事によれば、高度経済成長期には工場や商店で若い労働力の需要が高まり、地方の中学卒業生は貴重な働き手として「金の卵」と呼ばれました。集団就職にかげりが見え始めたのは昭和40年代後半で、地方の高校進学率が90%を超えたことや、工場のオートメーション化、オイルショックなどが影響したと伝えられています。

出典:産経新聞「金の卵、集団就職列車にゆられ涙で新天地を目指す」

15歳での旅立ちと新天地での生活

J-STAGEに掲載された黒田英一氏の論文「集団就職世代のライフヒストリー」では、「金の卵」と呼ばれた中学卒業生たちが、高度経済成長期に集団就職列車に乗り大都会を目指したことは、戦後経済史のなかでも画期的な出来事だったと位置づけられています。15歳という若さで親元を離れ、見知らぬ土地で新しい生活を始めることは、当時の若者たちにとって大きな決断であったと考えられます。

出典:J-STAGE「集団就職世代のライフヒストリー」黒田英一

新天地で働き始めた若者たちの生活のイメージ。
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

1954年に始まり、1975年に姿を消した

集団就職列車は1954年(昭和29年)に青森発上野行きの夜行列車として運行が始まり、1975年(昭和50年)3月、盛岡発の列車が上野駅に到着したのを最後に運行を終えたと伝えられています。21年間にわたって多くの若者を都市部へ送り届けた仕組みは、高校進学率の上昇や産業構造の変化とともに、その役割を終えていったとされています。ただしこの具体的な年については国鉄・JR公式による一次資料までは確認できておらず、複数の紹介記事に基づく情報として扱っています。

見送りと出発の記憶

駅のホームで家族や近所の人に見送られながら列車に乗り込む若者たちの姿は、当時の日本社会が大きく変化していく様子を象徴する光景だったといえます。実際に集団就職を経験した人にとっては、故郷を離れた日の記憶が今も鮮明に残っているのではないでしょうか。

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出典・注意事項

本ページは、NHK公式「回想法ライブラリー」、J-STAGE掲載の学術論文、産経新聞の記事をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。運行開始・終了の具体的な年については、複数の紹介記事に基づく情報であり、国鉄・JR公式による一次資料までは確認できていないため、留保表現を用いています。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。