竹馬の記憶|校庭や広場で乗りこなした遊具
公開日:2026年9月4日

※AIによるイメージ画像です
何度もバランスを崩しながら、少しずつ足場の上で歩けるようになっていく——そんな竹馬の練習を覚えている人もいるのではないでしょうか。
「竹馬」と呼ばれるこの遊具が、いつごろ今の形になり、どのように校庭や広場で遊ばれてきたのかを、辞書資料や博物館の解説をもとにたどります。
起源は古く、伝来の経路は今もはっきりしない
コトバンク(世界大百科事典)の解説によれば、竹馬のような遊びは中国の歴史書『後漢書』にも記述があるほど古くからあり、非常に長い歴史を持つとされています。ただし同じ資料では、これが中国から日本へ伝わったものかどうか、起源自体は不明であるとも説明されており、断定はできません。いろは事典の解説では、平安時代(10世紀ごろ)には日本にも伝わっていたとされていますが、こちらも「〜のようです」という粒度の記述にとどまっています。
またがる竹馬と、足場に乗る竹馬は別の系統
いろは事典の解説によれば、「竹馬」と呼ばれるものには大きく二つの系統があります。一つは、葉のついた笹竹を馬に見立てて股に挟み、ほうきにまたがるように遊ぶもの。もう一つは、背丈より少し高い2本の竹に足場をつけ、そこに足を乗せて歩く、現在よく知られている竹馬です。
コトバンク(日本大百科全書)によれば、股にまたがって遊ぶタイプは江戸時代に馬の頭を模した飾りをつけた「春駒」に受け継がれていったとされ、この系統と、現在主流の足場付き二本竹の系統は、混同せずに別のものとして捉える必要があります。
江戸時代後期から末期にかけて、今の形に
コトバンク(世界大百科事典)によれば、室町時代ごろから1.5〜2メートルほどの2本の竹幹に横木をくくりつける形式が発達していき、現在よく知られる足場付きの竹馬の形が完成したのは江戸時代末期ごろとされています。Wikipediaの解説でも、足場を付けた2本の棒に乗って歩く遊具が登場する最古の文献として、1845年(弘化2年)に書かれた『梅園日記』が紹介されており、資料の間で年代の表現に幅はあるものの、江戸時代後期から末期にかけて今の形が定着していったという点はおおむね共通しています。
いろは事典の解説によれば、この時期に竹馬が広まった背景には、材料となる真竹の自生が増えたことや、子どもたちが自分で小刀を使って竹馬を作れるようになったことなどがあったといいます。
何度も転びながら、足場の上でバランスを取る
千葉県立中央博物館大利根分館の展示解説によれば、竹馬は足場の高さで難易度が変わり、上手になると足場をより高くしたり、片足だけでケンケンをする技に挑戦したりする遊び方も紹介されています。両手で竹をしっかり握り、足場に足を乗せてバランスを取りながら一歩ずつ前に進む——何度も転びながら練習を重ね、ようやく数歩歩けるようになったときの達成感は、竹馬ならではの体験だったのではないでしょうか。

既製品の登場を経て、今も残る遊具
Wikipediaの解説によれば、1969年にはステンレスパイプとプラスチックの足場を使った既製品の竹馬が登場し、自分たちで竹を切って作るものから、店で買える玩具としての竹馬へと少しずつ広がっていったといいます。素材や作り方は変わっても、足場の上でバランスを取りながら一歩ずつ前に進むという遊び方の本質は変わらず、校庭や公園の遊具として今も親しまれ続けています。
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これ覚えてる?
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- 竹馬に乗れるようになるまで、何度くらい練習しましたか?
- 竹馬でどのくらいの高さまで挑戦しましたか?
- 校庭や公園で竹馬に乗った記憶はありますか?
出典・注意事項
本ページは、コトバンク(日本大百科全書・世界大百科事典)、いろは事典、Wikipedia、千葉県立中央博物館大利根分館の資料をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。資料によって年代の表現に幅がある部分は、慎重な粒度にとどめています。
ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。