メンコの記憶|地面で打ち合った、昭和の勝負遊び
公開日:2026年9月4日

※AIによるイメージ画像です
地面にしゃがみこみ、狙いを定めて力いっぱい打ちつける——相手のメンコが裏返った瞬間の高揚感を覚えている人も多いのではないでしょうか。
「メンコ」と呼ばれるこの遊びが、いつごろ生まれ、どのように今のかたちになっていったのかを、博物館の資料をもとにたどります。
起源は江戸時代、粘土を焼いた「泥めんこ」
玉川大学教育博物館の資料によれば、めんこは1830年(文政13年)の風俗書『嬉遊笑覧』に記述があり、江戸時代には既に存在していたと考えられています。市原歴史博物館の考古ノートによれば、その最初期の姿は18世紀前半に登場した粘土を焼いて作った「泥めんこ」で、地面に引いた区画線の中にめんこを投げ入れ、その位置によって勝敗を決めるという、現在の紙めんことは異なる遊び方だったといいます。
同資料によれば、天保年間には子どもたちのあまりの熱中ぶりを見かねた幕府が禁令をたびたび出すほどの人気だったといい、図柄には歌舞伎役者や力士、将棋の駒、火消しの纏など、当時の世相を反映した題材が使われていたことも紹介されています。
明治に入り、鉛めんこから紙めんこへ
兵庫県立歴史博物館「こども文化事典」によれば、明治10年代には鉛でめんこが作られるようになり、さらに明治20年代の日清戦争のころには紙のめんこが生まれたといいます。玉川大学教育博物館の資料でも、泥めんこから鉛めんこ、木製を経て紙製へという材質の変遷が紹介されており、紙めんこは裏に蝋や油をしみ込ませるなど、丈夫に長持ちさせるための工夫がされていたといいます。
泥から鉛、そして紙へ——手に入りやすく軽い材料に変わっていったことで、めんこはより多くの子どもたちが気軽に手にできる遊びへと変わっていきました。駄菓子屋の店先に並ぶ身近な品としても親しまれていたようです。
地面に打ちつけて裏返す、「起こし」という遊び方
兵庫県立歴史博物館によれば、紙めんこが広まると、地面に打ちつけたいきおいで相手のめんこをひっくりかえす「起こし」という遊び方が広まりました。泥めんこの「投げ入れる」遊び方から、紙めんこの「打ちつける」遊び方へと、遊具の変化にあわせて遊び方自体も変わっていったことがわかります。
KURAFTのコラムによれば、めんこを叩きつける角度はおよそ30〜45度とされ、屋外で遊ぶ場合は追い風か向かい風かによって相手のめんこがひっくり返りやすいかどうかも変わってきたといいます。地域によってルールの細かい違いがあったことも紹介されており、狙いを定める角度や力加減、その場の風向きまで読みながら勝負する——そんな駆け引きの奥深さも、めんこの魅力の一つだったようです。
出典:兵庫県立歴史博物館「こども文化事典」明治/KURAFT「めんこの力学〜風を読め。地面を読め。相手を読め。昭和の戦場」

遊ぶ子どもは減っても、記憶には残り続ける
KURAFTのコラムによれば、令和の現在、めんこで遊ぶ子どもの姿はほとんど見られなくなったといいます。テレビゲームやスマートフォン、動画など、子どもたちの遊びの中心が大きく変わったことが背景にあります。
一方で同コラムでは、レトロブームの流れの中で、一部の大人や教育現場でめんこが再評価されている動きも紹介されています。地面にしゃがみこんで狙いを定め、風を読みながら力いっぱい打ちつける——そんな体を使った駆け引きの面白さは、時代が変わっても色あせていないのかもしれません。
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- 「起こし」で勝負した記憶はありますか?
- 地域によるメンコのルールの違いを感じたことはありますか?
出典・注意事項
本ページは、兵庫県立歴史博物館、市原歴史博物館、玉川大学教育博物館、KURAFTの記事をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。資料間で裏付けが取れなかった情報(鉛中毒事件による規制等)は使用していません。
ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。