けん玉の歴史|大皿・とめけんに挑戦したあの頃
公開日:2026年9月3日 更新日:2026年9月11日

※AIによるイメージ画像です
玉を宙に浮かせて、大皿・中皿・小皿で受け止める。うまく決まった時の達成感を覚えている人も多いのではないでしょうか。
「けん玉」と呼ばれるこの遊びが、いつごろから親しまれ、今の形になっていったのかを、日本けん玉協会公式の資料をもとにたどります。
実は世界中にある「玉を受け止める遊び」
けん玉のように、紐でつながった玉を皿や剣先で受け止める遊びは、実は日本だけのものではありません。日本けん玉協会公式によれば、こうした遊びは英語で「カップ・アンド・ボール」、フランス語で「ビル・ボケ」と呼ばれ、文献に残る最古の記録は16世紀のフランスだといいます。1585年には街角で子どもたちがよく遊ぶ様子が記され、フランス王アンリ3世も愛好していたと伝えられているそうです。
つまり、玉を受け止めて遊ぶという発想自体は、世界各地で生まれたものだったことになります。この記事では、そうした世界共通の遊びが日本でどのように独自の形へ発展し、今のけん玉になっていったのかをたどります。
江戸時代は、大人が酒の席で楽しんだ遊びだった
日本玩具博物館によれば、江戸時代の日本にもけん玉の原型とみられる遊びの記録が残っており、当時は鹿の角で作った道具を使い、主に大人が酒の席で楽しむ遊びだったとされています。今のように子どもの遊びとして広まるより前は、大人同士の余興として親しまれていたことになります。
宴席で杯を交わしながら玉を受け止める遊びに興じる大人たちの姿は、今のけん玉のイメージからは少し意外に思えるかもしれません。同じ道具でも、時代によって誰がどんな場面で楽しんでいたかは大きく変わってきたようです。
文献に残る最古の記録は1809年
日本けん玉協会公式によれば、けん玉は1809年の『拳会角力図会』という文献に記録が残る遊びです。当時は「匕玉拳」や「拳玉」と呼ばれ、国内唯一の開港地であった長崎から広まったと考えられているといいます。
その後、1830年に刊行された喜多村信節『嬉遊笑覧』にも「拳玉」として同じ系統の遊びが記されており、江戸時代を通じて少しずつ全国へ広まっていった様子がうかがえます。
明治時代、子どもの遊び道具になっていった
日本玩具博物館によれば、けん玉が子どもの遊び道具として広まったのは明治時代からとされています。当時の形は、棒の先端を剣のように尖らせ、もう一方の端に皿型のくぼみを一つ備えただけの、今よりずっとシンプルな作りでした。
皿が一つだけというこの明治期の形は、フランスのビル・ボケなど海外に伝わる遊具の作りにも近いものでした。
大正時代、広島で生まれた「日月ボール」
日本けん玉協会公式によれば、大正7年(1918年)10月1日、広島県呉市の江草濱次氏が軸の根元に三日月形の皿を持つ「日月ボール」を考案・出願し、翌大正8年(1919年)5月14日に実用新案として登録されました。この改良によって、現在のけん玉に近い形が生まれたとされています。
「日月ボール」という名前は、球を太陽(日)に見立て、三日月のような形に削った皿で受け止めることに由来すると紹介されています。この名称は大正初期から昭和初期にかけて使われていました。
当時の実用新案の書類には、すでにいくつかの技の例が示されていたといいます。一つの道具にどんな遊び方ができるのかを、考案の段階から具体的に示していたことになります。
なぜ皿が3つあるのか、日本だけの工夫
日本玩具博物館によれば、この大皿・中皿・小皿と3つの皿を備えた構造は、世界的に見ても珍しい日本独自の特徴だといいます。同じ「カップ・アンド・ボール」の系統でも、ヨーロッパで広まった玩具の多くは受け皿が一つだけで、日本のけん玉のように複数の皿を使い分ける遊び方は生まれなかったとされています。
皿を追加して技の幅を広げるという発想は、江草濱次氏の「日月ボール」の工夫から生まれた、日本ならではの方向性だったといえそうです。
大皿・中皿・とめけんに挑戦した記憶
玉を持ち上げて大皿にのせる、中皿にのせる、そして剣先に玉を刺す「とめけん」に挑戦する——けん玉には、難易度の異なるさまざまな技があります。
日本けん玉協会公式の技一覧によれば、10級はごく基礎的な技から始まり、級が上がるほど技の難度と求められる正確さが少しずつ増えていく仕組みになっています。1級の先にある準初段では、止め剣や世界一周といった難度の高い技に加えて、玉を大皿と小皿へ休まず100回以上往復させ続ける「もしかめ」のような持久力を試される課題も課されるといいます。
できるようになるまで何度も練習した記憶や、友達と技を競い合った記憶がある人も多いのではないでしょうか。休み時間や放課後に、うまくいかない技を何度も繰り返した経験は、けん玉ならではの思い出かもしれません。

競技用に工夫された「認定けん玉」
日本けん玉協会公式によれば、協会の検査に合格した競技用のけん玉は「認定けん玉」と呼ばれ、大会や段位審査で使われています。従来のけん玉は、U字型やコ字型の金具に糸を結びつけるだけの作りで、糸がほどけやすいという難点があったといいます。
認定けん玉では、玉側に糸を通す穴を設けてビーズで糸のよれを防ぎ、皿を持つ本体側にも穴を開けて糸を通すことで、糸がほどけにくく、けんの角度も一定に保てるように改良されています。皿のふちや滑り止めも丸みを帯びた形にすることで、空中技を落としたときの衝撃にも強くなったとされています。
日本けん玉協会公式によれば、協会がこうした改良に取り組んだのは、誰が使っても同じ条件で技を判定できる「公平な競技用けん玉」を目指したためだといいます。糸の緩みや皿の傾きが選手ごとに違っていては、同じ技でも成功のしやすさが変わってしまいます。段位審査で技の成否を公平に判定するためには、道具そのものの形状をそろえる必要があったということになります。
同じ「けん玉」という名前の道具でも、駄菓子屋で買った一本と、大会で使われる一本とでは、見えないところに積み重ねられた工夫の量がずいぶん違っていたことになります。
日本けん玉協会公式によれば、現在の認定けん玉は「F16-2型」という型番で、山形工房が認定製造業者として一貫して製造を担っているといいます。誰が競技用のけん玉を手にしても同じ条件になるよう、製造元も一つに絞られていることになります。
1975年、日本けん玉協会の設立と競技化
日本けん玉協会公式によれば、協会は1975年5月5日、児童文学作家の藤原一生氏を初代会長として設立されました。「たかがけん玉、されどけん玉」という言葉のもと、けん玉の魅力を次の世代へ伝えていくことを目的とした活動だったと紹介されています。
協会はまず、公平な競技を行うためのけん玉の開発と、全国共通の統一ルールづくりに取り組みました。日本けん玉協会公式によれば、1978年に「けん玉道級段位認定表」を制定し、翌1979年には第1回全日本けん玉道選手権大会を開催しています。協会公式によれば、こうした取り組みを通じて、伝統的な遊びだったけん玉に「スポーツとしての側面」が加わっていったといいます。
協会が定めた級・段位制度は、10級から1級までの級位、その上の準初段、そして初段から十段までの段位という合計21段階で構成されています。上の段位に挑戦するほど、より難しい技や高い成功率が求められる仕組みです。
ただし、最高位の十段だけは、決められた技をクリアすれば得られるものではありません。日本けん玉協会公式によれば、十段は「級・段位審査規定」に基づき、人格・技量・識見を備え、けん玉道の普及発展に貢献した人物に対して、理事会の審議を経て授与される特別な段位だといいます。技の完成度だけでなく、けん玉を通じてどれだけ貢献してきたかも問われる、他の段位とは性質の異なる到達点だということになります。
協会はその後、2002年にNPO法人としての認証を受け、2012年に一般社団法人、2014年には公益社団法人へと組織を変えながら、競技大会の開催や普及活動を続けています。
日本けん玉協会公式によれば、2026年には「第48回全日本けん玉道選手権大会」が開催されています。1979年の第1回からの47年間、回数が途切れることなく、ほぼ毎年欠かさず開催され続けてきた大会だということになります。
同大会の案内によれば、参加資格は中学生以上でけん玉道二段以上を持つ人とされ、協会員・非会員を問わず申し込めるといいます。予選は12種目で行われ、勝ち上がった上位32名による決勝トーナメントで優勝が争われるとされています。長く続けられてきたこの大会は、一定の腕前があれば誰でも挑戦できる開かれた仕組みを保ちながら、実力を競う場であり続けていることがわかります。
出典:公益社団法人日本けん玉協会公式「けん玉協会の沿革」/公益社団法人日本けん玉協会公式「級・準初段の技」/公益社団法人日本けん玉協会公式「段の技」/公益社団法人日本けん玉協会公式「第48回全日本けん玉道選手権大会のご案内」
2000年代以降、世界に広がった「KENDAMA」
けん玉は、昔ながらの遊びのまま終わった存在ではありません。NIKKEIリスキリングの記事によれば、2006年ごろ、来日していたアメリカのプロスキーヤーが、けん玉をおみやげとして持ち帰ったことがきっかけとなり、アメリカのストリートカルチャーの中でけん玉が知られるようになっていったといいます。
その後、従来の遊び方にとらわれない独自の技を披露する動画が2013年ごろから動画サイトを通じて広がり、「KENDAMA」という名前で若者を中心に世界的なブームとなりました。デザインの多様さもこの文化の特徴で、球の色や剣の素材・太さが異なる商品を1人で5本、10本と持ち分ける愛好者も珍しくないといいます。
海外の遊び方と、日本けん玉協会が育ててきた競技けん玉との違いについて、NIKKEIリスキリングの記事では協会会長の松永義希氏の言葉が紹介されています。海外のKENDAMAは「派手なパフォーマンス優先」である一方、協会のけん玉道は「規定の技をどれだけできるかで競う」ものだといい、「礼に始まり礼に終わる」という伝統的な競技の姿勢を大切にしてきたと語られています。それでも近年は、海外の愛好者の多くが協会の級・段位制度にも挑戦するようになっており、松永氏自身がその広がりに驚いたと紹介されています。
同じ記事によれば、広島県廿日市市は「けん玉発祥の地ともいわれる」とされ、今では「けん玉の聖地」としても知られるようになっています。2014年と2015年に開催されたけん玉ワールドカップには、2015年だけで14の国と地域から238人が参加し、来場者は5万人にのぼったといいます。世界遺産・厳島神社での奉納パフォーマンスが行われたことや、廿日市市の木工メーカー「株式会社イワタ木工」が手がける高級けん玉ブランド「夢元無双」が、入荷後わずか3分で完売するほどの人気を集めたことも紹介されています。
江戸時代の酒の席の遊びから、学校帰りに夢中になった大皿・とめけんの記憶、そして今、世界中の愛好者が集まる「けん玉の聖地」まで。一つの道具が、時代や国を越えて形を変えながら遊ばれ続けているのは、振り返ってみるとなかなか珍しいことかもしれません。
あわせて読みたい
あなたが子どもの頃の遊びは?
生まれ年を選ぶと、あなたが子どもだった頃の年代・年齢帯にまつわるページへのリンクを表示します。
これ覚えてる?
学校・地域・年代によって内容は異なります。あなたの記憶と重なるものはありますか?
- けん玉で「とめけん」に挑戦したことはありますか?
- 自分だけの得意技はありましたか?
- 友達と技を競い合った記憶はありますか?
出典・注意事項
本ページは、公益社団法人日本けん玉協会公式サイト・日本玩具博物館・NIKKEIリスキリングの資料をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。
ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。