ファックスはどう普及した?電話とは違う「紙を送る」という発想

公開日:2026年9月26日

昭和末から平成初期のオフィスで、ファックスから受信した書類を確認する様子

※AIによるイメージ画像です

電話とファックスは、同じ電話番号を使うのに、送るものが違います。声ではなく、紙に書かれたそのままの情報を届けるという発想は、どこから生まれたのでしょうか。

1970年代の電話網開放から、オフィスから家庭への普及まで、総務省の通信白書やリコーの記録からたどります。

ファックスとは?電話との違い

発明協会の資料によれば、ファクシミリ(ファックス)という発想自体は1843年、電話の発明より33年早く発明されたとされています。電話が音声を電気信号に変換して送るのに対し、ファックスは原稿を光学的に読み取った画像情報を電気信号に変換して送るという、異なる仕組みです。

同じ電話回線を使いながら、送るものの種類がまったく違う。この発想が実際に日本のオフィスや家庭に広がるまでには、さらに長い時間が必要でした。

電話が「今この瞬間に声を届ける」装置だったのに対し、ファックスは「声では伝えにくい図面や手書きの文字を、そのまま届ける」という、異なる価値を同じ電話網の上に築いたことになります。数字の書き間違いが許されない見積書や、口頭では説明しにくい図面を、そのままの形で相手に渡せることは、電話にはできなかった大きな利点でした。

出典:公益社団法人発明協会「戦後日本のイノベーション100選」G3ファクシミリ

1970年代、電話網が開放されファックスが動き出す

総務省「昭和51年版通信白書」によれば、昭和46年5月(1971年)の電気通信法改正で、公衆電話網の利用が正式に認められたとされています。それまで新規に回線網を敷設する必要があったところを、既存の電話網を転用できるようになったことが、ファックスの実用化を後押ししました。

同白書によれば、当時の伝送時間は「4分以上/ページ」から「30秒〜1分」へ短縮されたとされ、この時期に技術的な高速化が急速に進んでいたことがうかがえます。

1ページを送るのに数分もかかっていては、電話で口頭で伝えるほうが早い、ということになってしまいます。伝送時間の短縮こそが、この機械が実際の業務で使われ続けるかどうかを左右する、最初の関門だったといえます。

出典:総務省「昭和51年版 通信白書 ファクシミリ通信の成長と課題」

リファクス600S——A4原稿を1分で送る

リコー公式によれば、同社は1974年、世界初のデジタルファクシミリ「リファクス600S」を発売し、A4原稿の電送時間を3〜6分から1分に短縮しました。発明協会の資料では、この機種の価格を388万円と紹介しています(価格についてはリコー公式ページに記載がなく、複数資料でのクロスチェックは完了していません)。

業務で使うには数分の待ち時間では実用に耐えないため、各社が読み取り速度と解像度の向上を競いました。原稿をそのまま送るという発想の実現には、光学技術の地道な高速化競争が必要だったことになります。

この高速化競争を主導したのが日本企業だったことは、後にファックスという機械が国際的な標準規格の面でも日本発の技術を土台にしていく、1つの伏線になっていました。

この388万円という金額は、リファクス600Sだけの特別な値付けではなかったようです。国立科学博物館産業技術史資料情報センターの系統化調査報告によれば、昭和48年(1973年)当時の高速ファクシミリ1台の定価は388万円と記録されており、600Sの発売と同じ時期・同じ金額水準になっています。機種名を明示したクロスチェックではありませんが、時期と価格感が一致する独立した記録として参考にできます。当時、この価格帯の機械を50台・60台まとめて導入した労働組合の例も同資料に残っており、電話や電報より確実に情報を届けたいという需要が、高価でも導入を後押ししていたことがうかがえます。

仕組みをもう少し細かく見ると、原稿を読み取って符号化した画像情報は、電話回線に合わせた信号へ変換するMODEM(変復調装置)を経て送り出されます。同報告書によれば、リファクス600Sが採用したQAM方式の変調技術は、後の国際標準となるMODEM技術に大きな影響を与えたとされています。当時の電話回線はアナログが中心で、機械式の交換機もまだ多く残っていたため、回線のノイズをどう抑えて画像を正しく復元するかも、実用化にあたっての課題だったようです。

出典:リコー公式「リコーのあゆみ(1970-1984)」/公益社団法人発明協会「戦後日本のイノベーション100選」G3ファクシミリ/国立科学博物館産業技術史資料情報センター「技術の系統化調査報告 Vol.19」小川睦夫「ファクシミリの系統化」(2013年)

電話回線を使った伝送と、国際標準化

発明協会の資料によれば、日本は2次元符号化方式(MR方式)の国際標準化を主導し、特許を無償で提供することを宣言して全会一致で成立させたとされています。

各国・各社が別々の方式で開発すれば、国境を越えた通信は成立しません。1台の日本製品で確立された技術が、世界中どの機械とも通信できる国際標準の土台になったことは、この発明が持っていたもう1つの側面です。海外のメーカーの機械へ届いても、正しく画像として復元できる。この互換性があったからこそ、ファックスは国内だけでなく国際的なビジネスの現場でも使われる機械になっていきました。

特許を無償で提供するという方式は、開発した技術を自社だけで抱え込まない選択でもあります。結果として、日本発の技術がそのまま世界の標準規格になったという事実は、この発明が持っていた国際的な影響力の大きさを物語っています。

出典:公益社団法人発明協会「戦後日本のイノベーション100選」G3ファクシミリ

オフィスから家庭へ——ミニファックスの普及

NTT技術史料館によれば、1981年、電電公社のFネット開始にあわせ、複数の電機メーカーが共同で「ミニファックス」を開発し、これが家庭へのファックス普及のきっかけになったとされています。

総務省「平成12年通信利用動向調査」によれば、2000年(平成12年)時点で事業所のファックス保有率は95.3%に達していたとされています。オフィス向けの大型・高額機に対し、家庭向けには小型化・経済化が不可欠であり、大手各社が共同開発という形をとったことは、単独では価格競争力を確立しにくい状況をうかがわせます。

複数の大手電機メーカーが手を組んで1つの機種を共同開発するという体制は、通常の商品開発ではあまり見られないやり方です。それぞれの企業が個別に小型・低価格の機種を開発するよりも、規格をそろえて協調するほうが、開発コストを分散しながら家庭という新しい市場を早く形にできます。

国立科学博物館の系統化調査報告によれば、Fネット開始当時、業務用のG3機は100万円以上、簡易なG2機でも50万円ほどした中、電電公社は原稿サイズをA5判に絞ったミニファックスⅠ(MF1)を投入し、価格を10万円以下に抑えたとされています。原稿を小さくすることで部品と回路を簡略化する。これが、オフィス機だったファックスを家庭という新しい市場へ運ぶための、最初の値下げの手口だったことになります。

総務省「令和元年版情報通信白書」の基礎データによれば、家庭用ファックスの世帯保有率は2009年の57.1%が2008〜2018年の時系列の中で最も高く、翌2010年には43.8%まで下がっているとされています。ただしこの年からは調査対象の規模も大きく変わっており(サンプル数がおよそ4,500件から22,000件規模へ拡大)、単純な右肩下がりのグラフとして読むには注意が必要です。

さらに大きな転機は1985年でした。国立科学博物館の系統化調査報告によれば、この年のNTT民営化にあわせて電話機本体の自由化が実施され、家庭用ファックスの基本形が「電話機とファックスを一体化した機器」へ変わっていったとされています。それまで電話機とは別に置かれていたファックスが、電話機そのものの一部になっていく。この変化が、家庭へのさらなる普及を後押ししたと同報告書は位置づけています。

出典:NTT技術史料館「展示エリア紹介」/総務省「平成12年 通信利用動向調査報告書(事業所編)」/総務省「令和元年版情報通信白書」情報通信機器の世帯保有率の推移(通信利用動向調査(世帯編)に基づく基礎データ)/国立科学博物館産業技術史資料情報センター「技術の系統化調査報告 Vol.19」小川睦夫「ファクシミリの系統化」(2013年)

家庭で、小型のファックス付き電話機を使う様子
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

電子メール以前、「紙を即時に送る」ことの意味

電子メールが一般的になる前、書類・図面・手書きの文字をそのまま相手に届ける手段は限られていました。ファックスは、こうした「声では伝えにくい情報」を、電話と同じ手軽さで送れるようにした発明でした。

「ファックスは日本で特に根強く残っている」という説明がよく語られます。この漢字文化圏説について、国立科学博物館の系統化調査報告(2013年)は、漢字やひらがなを含む原稿を扱う日本の需要が機能改良を促したという見方を示しています。実際に、当時の通信機械工業会は国際符号化方式(MH符号化)を採用するかどうかを検討する際、漢字・ひらがなの文書や新聞、図面といった日本語特有の原稿で圧縮率を実際に評価したという記録が残っています。

ただし、この検証はあくまで符号化方式という技術選定の場面での話です。「家庭や社会への普及そのものが漢字文化圏だからこそ進んだ」と直接結び付けるところまでは、同報告書からも読み取れません。通説の一部を支える技術的な事実は確認できたものの、普及そのものの因果関係については、なお慎重に扱う必要があります。

手書きの図面、走り書きのメモ、印鑑を押した書類。こうした「文字や記号としてではなく、見た目そのものが情報である紙」を送りたいという需要は、電子メールが一般化した今でも完全にはなくなっていません。ファックスが担っていた役割の一部は、今もPDFやスキャン画像という形に置き換わりながら、静かに残り続けているといえます。

出典:国立科学博物館産業技術史資料情報センター「技術の系統化調査報告 Vol.19」小川睦夫「ファクシミリの系統化」(2013年)

なぜ衰退し、なぜ今も残っているのか

電子メールやPDFが広まると、紙に印刷せずデータのまま送受信できる分、ファックスの利用は徐々に減っていきました。それでも官公庁や一部の業種では、今もファックスが使われ続けています。

「紙で受け取った証拠が残る」「操作が単純」という点は、今もファックスが使われる場面でよく挙げられる理由です。効率だけを追いかける機器ではなかったことが、この機械を今なお現場に残し続けています。

1843年に発想が生まれ、1970年代に電話網が開放され、1980年代にオフィスから家庭へ広がる。ファックスの歩みは、1つの発明が実際に暮らしへ届くまでに、制度・技術・価格という複数の壁を越える必要があったことを示しています。電話が「声」を、ワープロが「文書の作成」を、留守番電話が「音声の記録」を担っていた時代に、ファックスだけが担えた役割は、「今その場にある紙を、そのまま相手に届ける」ことでした。

ボタンを押してから紙が送られていく音、受信側でゆっくりと印字されて出てくる紙。あの独特の質感を持つ体験は、電子メールの通知音とはまったく違う種類の「届いた」という実感を伴っていました。効率化が進んだ今も、その実感の記憶だけは、多くの人の中に残っているのではないでしょうか。

電話網の開放という制度の変化から始まり、企業の高速化競争、国際標準化、そして家庭への普及へ。1台の機械の歩みをたどるだけで、当時の日本の通信をめぐる制度と技術がどう動いていたかが、あわせて見えてきます。声でも文書の作成でもない、「今その場にある紙を、そのまま届ける」という一点にこだわり続けたファックスという機械。その役割の一部は電子メールに引き継がれながらも、紙という手触りのある情報を送るという発想そのものは、今も形を変えて残っています。

あわせて読みたい

同じ「文書を扱う機械」であるワープロ専用機はワープロ専用機の記憶で、同じ電話回線を使う黒電話は黒電話の歴史でたどれます。音声を後で聞く留守番電話については留守番電話「アンサホン」の記憶でも確認できます。

あなたが子どもの頃のファックス事情は?

生まれ年を選ぶと、あなたが子どもだった頃の年代・年齢帯にまつわるページへのリンクを表示します。

生まれ年の入力方法

これ覚えてる?

学校・地域・年代によって内容は異なります。あなたの記憶と重なるものはありますか?

  • 家やオフィスにファックスがあったことを覚えていますか?
  • ファックスで書類を送ったときのことを覚えていますか?
  • 今もファックスを使う場面はありますか?

出典・注意事項

本ページは、総務省「通信白書」「通信利用動向調査」「情報通信白書」、公益社団法人発明協会、リコー公式、NTT技術史料館、国立科学博物館産業技術史資料情報センターの記載内容をもとに構成しています。家庭用世帯普及率のピーク年(2009年57.1%)は総務省の基礎データで確認できましたが、リファクス600Sの価格(388万円)は機種名を明示した複数資料でのクロスチェックが完了しておらず、「漢字文化圏だから普及した」という通説も、技術的な検証の記録は確認できたものの普及そのものとの因果関係は一次資料で断定できないため、それぞれ慎重な記載にとどめています。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。