ガリ版で作った学級新聞|鉄筆と原紙で刷った昭和の教室

公開日:2026年9月5日

謄写版の木枠とローラーで印刷する昭和の教室のイメージ

※AIによるイメージ画像です

ヤスリ板の上で鉄筆を走らせると、ガリガリという音とともに、原紙に細かい文字が刻まれていく——そんな「ガリ版」の作業風景を覚えていますか。

学級新聞や試験用紙、文集の印刷に使われていたこの道具が、いつ日本に伝わり、どのように教室で使われていたのかを、資料をもとにたどります。

1894年、堀井新治郎父子が謄写版を実用化

印刷博物館の解説によれば、謄写版は1894年(明治27年)に堀井新治郎父子によって日本で実用化され、広く普及した印刷機です。ロウを塗った原紙を専用のヤスリの上に置き、鉄筆やヘラで文字や絵を描くことで版を完成させる方法でした。東近江市公式サイトによれば、堀井新治郎父子は滋賀県蒲生郡(現・東近江市)の出身で、発明家として数多くの発明を手がけた人物だったといいます。

出典:印刷博物館(東京)「謄写版印刷機」/東近江市公式サイト「ガリ版伝承館」

「ガリ版」の由来は、ヤスリをこする音

印刷博物館の解説によれば、原紙をヤスリでこすりながら文字を書くことから「ガリ版」と呼ばれるようになり、この「ガリ切り」と呼ばれる製版方法自体も堀井父子の発明だといいます。ロウを塗った薄い原紙をヤスリ盤の上にのせ、鉄筆で文字や絵を書くと、その部分だけロウが削れて細かい孔が開きます。この原紙を木枠に張り、上からインクをのせてローラーで押さえると、孔の開いた部分だけインクが下の紙に通過し、印刷される仕組みでした。

出典:印刷博物館(東京)「謄写版印刷機」

鉄筆でロウ原紙に文字を書く手元のイメージ
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

大正から昭和にかけて、学校やオフィスに広く普及

印刷博物館の解説によれば、堀井父子の特許満了後、複数のメーカーが謄写版印刷機を発売するようになり、大正から昭和にかけて、謄写版印刷はオフィスや学校を中心に大きく普及したといいます。試験用紙や配布プリント、文集、そして学級新聞まで、教室で配られる印刷物の多くがガリ版で作られていました。原紙とインクさえあれば電気がなくても印刷できる手軽さから、教員が放課後や早朝に一枚一枚刷っている光景も、当時の学校では珍しくありませんでした。

出典:印刷博物館(東京)「謄写版印刷機」

ガリ版でローラーを使い学級新聞を刷る昭和の教室のイメージ
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

今も滋賀県東近江市に受け継がれる、ガリ版の文化

東近江市公式サイトによれば、堀井新治郎父子の本家を改修した「ガリ版伝承館」が1998年(平成10年)に開館し、館内ではガリ版の器材や作品の展示、体験学習などを通じて、その文化を今に伝えています。輪転機やコピー機、そしてパソコンとプリンターへと印刷手段が移り変わっていく中で、ガリ版という道具そのものは学校から姿を消していきましたが、発祥の地では今もその歴史が大切に受け継がれています。

出典:東近江市公式サイト「ガリ版伝承館」

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出典・注意事項

本ページは、印刷博物館(東京)、東近江市公式サイトをもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。エジソンの発明との直接的な関係や、学校での使用が終了した具体的な時期については、両施設の公式資料で直接確認できなかったため、本文には含めていません。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。