プリントゴッコとは?年賀状を家で刷った家庭用印刷機

公開日:2026年9月6日

家庭でプリントゴッコを使い、家族で年賀状を刷るイメージ

※AIによるイメージ画像です

年末になると、家族総出でプリントゴッコを囲んで年賀状を刷った記憶はありませんか。1台の孔版印刷機の裏には、終戦直後から続く一つの会社の歴史も重なっています。

「プリントゴッコ」という家庭用の簡易印刷機が、どんな仕組みでどのように広まり、なぜ姿を消していったのかを、理想科学工業(RISO)公式などの資料をもとに詳しくたどります。

プリントゴッコとは?製版と印刷を1台にまとめた家庭用簡易印刷機

理想科学工業(RISO)公式「プリントゴッコ 懐かしい展」によれば、プリントゴッコは1977年に発売された、製版と印刷の工程を同じ機構に納めた、孔版印刷(こうはんいんさつ)式の家庭用簡易印刷機です。発売と同時に全国の百貨店や文具店で品切れが続出するほどのヒット商品になったとされています。年賀状の季節が近づくたびに店頭で売り切れが起きるという光景は、その後何年も繰り返された、この商品ならではの風物詩でもありました。

出典:理想科学工業(RISO)公式「プリントゴッコ 懐かしい展」

フラッシュランプの光で、原稿を版にする仕組み

Wikipediaの解説によれば、プリントゴッコの製版は、原稿(版下用紙)の上に専用のフィルム(マスター)を重ねて枠を下ろし、これを押し込むことで内部のフラッシュランプが発光し、原稿の黒い文字や絵の部分だけが熱を吸収してフィルムを溶かすという仕組みで行われます。カメラのフラッシュのような強い光を一瞬当てるだけで、手描きの絵や文字の形がそのままフィルムの版として写し取られるという、当時としては手軽な製版方法でした。専門の印刷所に頼まなければできなかった「版を作る」という工程を、家庭の机の上で一瞬のフラッシュだけで済ませられるようにしたことこそが、この製品の最大の発明だったといえます。

同解説によれば、印刷の際は、この版に専用インクをのせ、印刷用紙を重ねて圧着すると、フィルムが溶けた部分からインクが紙に写し取られて絵柄が刷り上がる仕組みになっています。

出典:Wikipedia「プリントゴッコ」(製版・印刷の仕組みの説明)

年賀状づくりの常識を変えた道具

同ページによれば、当時家庭で作る年賀状といえば芋版や干支のハンコが一般的でしたが、プリントゴッコはこの常識をくつがえし、気がつけばプリントゴッコでの年賀状づくりが年末の風物詩になっていたといいます。1980年には年賀状教室も開催されており、単なる印刷道具を超えて、年末の家庭行事のような存在になっていたことがうかがえます。

彫刻刀を使う芋版や、一つの絵柄しか押せない干支のハンコに比べ、プリントゴッコは自分で描いた絵や文字を、家族の人数分だけ何枚も同じ品質で刷り上げられるという点で、年賀状づくりの手間そのものを大きく変えた道具でした。

出典:理想科学工業(RISO)公式「プリントゴッコ 懐かしい展」

プリントゴッコの版を持ち上げ、刷り上がった絵柄を確認する手元のイメージ
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

なぜ家庭に広まったのか

理想科学工業(RISO)公式によれば、プリントゴッコはパソコンやプリンターが家庭に普及していなかった1970年代に誕生し、「家庭で印刷する」という新しい文化のさきがけとなったといいます。名前には「親子で印刷ゴッコを楽しんでほしい」という思いが込められており、社員が店頭でデモンストレーションを行うことで広まっていったと紹介されています。

Wikipediaの解説によれば、プリントゴッコは1987年には年間72万台を売り上げるまでに広まったとされています。文房具に関する資料によれば、発売時には「子どもがお年玉でも買えるように」という配慮から価格が抑えられていたとも紹介されており、90年代前半には5世帯に1台という水準まで普及していたといわれています。理想科学工業公式によれば、累計販売台数は1996年に1,000万台を突破しており、年賀状という毎年必ず訪れる需要と結びついたことが、この規模への普及を後押ししたと考えられます。

出典:理想科学工業(RISO)公式「プリントゴッコ 懐かしい展」/Wikipedia「プリントゴッコ」(製版・印刷の仕組みの説明)/文房具豆知識「プリントゴッコ 誕生から終わりまで」

年賀状だけじゃない。多色刷りとTシャツへの広がり

Wikipediaの解説によれば、プリントゴッコでは粘着剤付きの専用スポンジシートをマスター(版)に貼ることで、圧着した際のインクの移動や混色を防ぎ、複数の色を同時に置いて刷ることができたとされています。1色ずつ刷り重ねる手間をかけなくても、工夫次第で多色刷りの年賀状や絵柄を作れるようになっていたことがわかります。使い手の間では、インクをあえて混ぜてマーブル模様にするなど、想定を超えた独自の楽しみ方も生まれていったといわれています。

同解説によれば、プリントゴッコは紙への印刷だけでなく布への印刷用の機種も発売され、1999年には紙用・布用の両方に対応した「プリントゴッコアーツ」が登場したといいます。年賀状づくりの道具として広まったプリントゴッコが、Tシャツやうちわなど布製品にも刷れる道具へと用途を広げていったことは、単なる年賀状印刷機を超えた、家庭での「ものづくり」全般の道具になっていたことを示しています。

出典:Wikipedia「プリントゴッコ」(製版・印刷の仕組みの説明)

なぜ姿を消していったのか。パソコンと年賀状文化の変化

ITmedia(2008年5月の記事)によれば、プリントゴッコの本体販売は2008年6月30日をもって終了しました。その背景として、パソコンおよびインクジェットプリンターの普及にともなって1990年代後半から販売数が減少し続けていたことが挙げられています。家庭のパソコンで自由に文字や画像を配置し、プリンターで印刷できるようになったことが、版を作って刷るという手間のかかる工程を必要としないもう一つの選択肢になっていったのです。

同記事によれば、それだけでなくデジタルカメラの登場や画像編集ソフト、Eメールなどによって、年賀状文化そのものが変わりつつあったことも、販売終了の要因の一つとして指摘されています。プリントゴッコは単に一つの印刷道具が売れなくなったのではなく、「年に一度、家族で年賀状を手作りする」という体験そのものの土台が、デジタル化の中で少しずつ形を変えていった、その象徴的な出来事だったと見ることができます。フラッシュを焚いて版を作るという手間そのものが、パソコンとプリンターの手軽さと比べられたとき、かつての「発明」が逆に「手間」として映るようになっていったのです。

出典:ITmedia「プリントゴッコが販売終了 年賀状文化の衰退も後押し」

2012年12月28日、約35年の事業を終える

理想科学工業(RISO)公式の事業終了に関するお知らせによれば、プリントゴッコ事業は2012年12月28日をもって終了しました。1977年の発売から数えて、約35年間にわたり多くの家庭の創作活動を支えてきたことになります。同社は終了にあたり、長年にわたり愛用した利用者への感謝を伝えています。

文房具に関する資料によれば、ランプ・インク・マスターといった消耗品は事業終了後の2015年をもって在庫がなくなり、それ以降は入荷ができない状態になったとされています。メーカー在庫が尽きたあとは、店舗に残っていたわずかな在庫や、ネットオークションでの取引だけが入手手段になり、中古の消耗品には1円から5,000円程度まで値がつくこともあるといいます。本体だけが残っていても、消耗品が手に入らなければ印刷できないという事情が、今もプリントゴッコを持つ人たちの間で悩みの種になっているようです。

出典:理想科学工業(RISO)公式「プリントゴッコ事業終了について」/文房具豆知識「プリントゴッコ 誕生から終わりまで」

「理想」を失わないために。終戦直後に生まれた社名

Wikipediaの解説によれば、理想科学工業の創業者・羽山昇氏は、陸軍少尉として終戦を迎えたのち日本大学に進学し、学費と生計費を稼ぐため、1946年9月2日に東京・世田谷の自宅で謄写版印刷業を始めたのが会社の出発点だったとされています。年賀状印刷機という発想からは遠い、一人の復員兵の生活費づくりが、この会社の原点だったことになります。

同解説によれば、社名を「理想社」としたのは「日本がどうなってしまうか分からないときだから、人は理想を失ってはいけない。どんなときでも理想を貫いていこう」という羽山氏の思いが込められていたといいます。その後1948年に「理想印刷社」、1955年に「株式会社理想科学研究所」、1963年に現在の「理想科学工業株式会社」へと社名を変えながら、謄写版印刷の技術を核とする会社として歩んできました。プリントゴッコもリソグラフも、終戦直後、生計を立てるために始めた1台の謄写版印刷機から半世紀以上を経て生まれた製品だったことになります。

日本印刷産業連合会の訃報記事によれば、羽山氏は大正13年(1924年)9月に東京で生まれ、2012年3月13日に87歳で死去したとされています。1963年の社名変更にあわせて代表取締役社長に就任し、1999年に長男へ社長職を譲って2003年に名誉会長となったといいます。同記事によれば、1982年には簡易製版多色印刷装置(プリントゴッコの技術)の発明に対して黄綬褒章を受章しており、これは業界団体という異なる立場からも、羽山氏の創業の経緯と功績が裏付けられていることになります。

出典:Wikipedia「理想科学工業」/日本印刷産業連合会「羽山昇氏が死去 理想科学工業の創業者」

プリントゴッコの技術は、業務用印刷機に受け継がれていた

@DIMEの記事によれば、プリントゴッコは謄写版(とうしゃばん)の原理を応用した孔版印刷という技術を採用していましたが、この同じ孔版印刷の原理を使った業務用印刷機「リソグラフ」が、1980年6月に発売されています。プリントゴッコが「製版と印刷を1つの機構に収めた」家庭用の簡易印刷機だったのに対し、リソグラフはその考え方を業務用の大量印刷向けに発展させた製品でした。

同記事によれば、リソグラフは教育現場や官公庁で6〜7割という高いシェアを獲得し、現在も理想科学工業の業績を支える主力印刷機の一つになっているといいます。プリントゴッコという家庭向け商品は2012年に終了しましたが、そこで培われた孔版印刷の技術そのものは、学校のプリント配布やお知らせづくりを支える業務用機器という別の形で、今も現役で使われ続けているのです。「年賀状を家で刷る」という体験は姿を消しましたが、その技術的なルーツは、思いがけない場所で今も生き続けているといえます。

同記事によれば、理想科学工業は2011年にオリンパスからインクジェットプリンター事業を買収し、2022年3月期には売上構成比をインクジェット関連で33%から53%まで拡大させたとされています。孔版印刷のリソグラフ一本足ではなく、インクジェット技術も柱に加えることで、事業の幅を広げてきたことがわかります。

同記事によれば、2022年3月末時点で理想科学工業は自己資本比率77.0%、現金188億3,400万円を保有するという、非常に安定した財務体質を築いているといいます。プリントゴッコという看板商品を失ってもなお、業務用印刷という別の需要と新規事業への投資余力を確保できていることが、この会社が半世紀以上にわたって存続し続けている理由の一つと考えられます。

出典:@DIME「『プリントゴッコ』の理想科学工業が息の長い経営を続けられる理由」

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出典・注意事項

本ページは、理想科学工業(RISO)公式サイトの「プリントゴッコ 懐かしい展」および事業終了に関するお知らせをもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。