修学旅行はいつ始まった?行軍から見学旅行への変化
公開日:2026年9月26日

※AIによるイメージ画像です
旅のしおりを片手に、クラスメイトと過ごした特別な数日間。修学旅行は、いつ、どんな目的で始まった行事だったのでしょうか。
アジア歴史資料センターや日本修学旅行協会の記録から、明治時代の行軍訓練的な旅から、今のような見学中心の旅行へと変わっていった経緯をたどります。
修学旅行とは?教育の一環としての旅行
学校の授業の一環として、クラスやその学年全体で出かける宿泊をともなう旅行、修学旅行。日本の学校生活の中でも、多くの人にとって特別な思い出として残る行事です。
小学校では日帰りまたは1泊程度、中学校・高等学校になると、より遠方へ数日間かけて出かけることが一般的です。学年が上がるにつれて、行き先も内容も少しずつ本格的になっていくという構造も、この行事の特徴のひとつといえます。
ふだんの授業とは違う場所で、実際に見て、歩いて学ぶ。この「教室の外で学ぶ」という発想が、いつ、どのように生まれたのかをたどっていきます。
1888年、文部省の規定に初めて明記
アジア歴史資料センターによれば、1888年(明治21年)8月、文部省が「尋常師範学校設備準則」を定めた際、この中に修学旅行について明記したとされています。これが、日本の法令に「修学旅行」という文字が明記された最初の記録とされています。
師範学校、つまり教員を養成するための学校の規則の中に、修学旅行という言葉が初めて登場した。教育制度が整えられていくさなか、教室の中だけでは得られない学びを求める発想が、この時期にはすでに芽生えていたことになります。
1901年、行軍訓練から見学旅行へ
アジア歴史資料センターによれば、1901年(明治34年)3月、文部省令第3号による中学校令施行規則の公布により、それまで修学旅行と一体化していた行軍訓練的な側面が分離されたとされています。
つまり、修学旅行が生まれた当初は、隊列を組んで長距離を歩くような、軍事教練に近い性格を持つ側面もあったことになります。1901年の制度改正によって、この行軍訓練的な要素が切り離され、名所旧跡や産業施設等を訪ね、見て学ぶことを主体とする、今の修学旅行に近い形へと変化していったとされています。
「歩いて鍛える旅」から「見て学ぶ旅」へ。この転換は、教育そのものが、身体を鍛えることを重視する発想から、実地の見学を通じて知識や視野を広げることを重視する発想へと、少しずつ軸足を移していったことを示しているといえるでしょう。
行軍という言葉が示すとおり、当初の修学旅行には、隊列を組んで長距離を歩き通す体力錬成としての側面が色濃くありました。それが1901年を境に、名所旧跡や産業施設という「見るべきもの」を中心に据えた行程へと組み替えられていったことは、修学旅行という行事の性格そのものを大きく変える出来事だったといえます。

戦時中の中止、そして早すぎる再開
アジア歴史資料センターによれば、1940年(昭和15年)6月、文部省は修学旅行を制限する通牒を出し、1943年の記録を最後に、戦時中は修学旅行そのものが中止されたとされています。戦況が悪化する中、生徒を引率して遠方へ旅行するという行事は、続けることが難しくなっていったことがうかがえます。
同センターによれば、終戦からまもない1946年(昭和21年)には、早くも各地の学校で修学旅行が行われた記録が残っているとされています。食糧事情も交通事情も厳しい中で、多くの学校がこの行事の再開を急いだことになります。
さらに同センターによれば、1953年(昭和28年)時点で、全国の中学校の87%、高校の65.7%が修学旅行を実施していたとされています。戦後わずか10年に満たない間に、修学旅行はふたたび、多くの学校にとって当たり前の行事へと戻っていったことになります。
食べるものにも事欠く時代に、それでも修学旅行を再開させようとした学校が数多くあったという事実は、この行事が単なる娯楽ではなく、教育の中で欠かせないものと考えられていたことを物語っています。

1952年、日本修学旅行協会の設立
公益財団法人日本修学旅行協会公式によれば、同協会は1952年(昭和27年)10月1日に設立総会を開き、同年12月に当時の文部省・運輸省の認可を受けて設立されました。基本財産の出損者には、当時の文部大臣・運輸大臣・国鉄総裁・東京都知事が名を連ねていたとされ、国を挙げて修学旅行という行事を支える体制が整えられていたことがうかがえます。
同協会公式によれば、機関誌の発行、修学旅行研究発表校制度の確立、実態調査という3つの事業を柱として活動を始め、2013年(平成25年)4月からは公益財団法人として歩んでいるとされています。
鉄道会社や国、自治体までもが関わりを持っていたという事実は、修学旅行が一つの学校だけで完結する行事ではなく、輸送や宿泊といった社会全体の仕組みと深く結びついた行事だったことを示しています。
戦後の定番、京都・奈良・広島
戦後、修学旅行はより多くの学校で当たり前の行事として定着していきます。京都・奈良の古都をめぐり、寺社や史跡を見学する。あるいは広島を訪れ、平和について学ぶ。こうした行き先は、多くの人にとって「修学旅行といえばここ」という定番のイメージとして共有されてきました。
名所旧跡を見て回るという1901年以降の方針は、戦後の修学旅行にもそのまま受け継がれていたことになります。歴史や文化に直接触れる体験を、旅というかけがえのない時間の中で積み重ねる。この基本的な考え方は、長い年月を経ても大きくは変わっていません。
クラス写真を撮る定番のスポット、夜の宿舎で枕を並べて過ごした時間、班ごとに分かれて自由行動する緊張感。修学旅行という行事は、単なる見学の場であると同時に、友人たちと寝食をともにする、学校生活の中でも特別な数日間でもありました。
行き先の変遷
公益財団法人日本修学旅行協会公式によれば、同協会は全国の中学校・高等学校を対象に、前年度の修学旅行についての調査を毎年実施し、その結果を「教育旅行年報」としてまとめているとされています。この継続的な調査によれば、行き先として京都府が上位を占める傾向が続いているとされています。
時代や学校の種類によって、修学旅行の行き先や内容には違いがあります。海外への修学旅行や、体験型のプログラムを取り入れる学校が増えるなど、見学中心という基本の形を保ちながらも、その内容は少しずつ多様になってきているといえそうです。
農業や漁業を実際に体験するプログラム、平和学習に重点を置いた行程、現地の人々との交流を組み込んだ内容など、単に名所を見て回るだけではない、体験を重視した修学旅行も増えてきています。1901年に「見学中心」へと姿を変えた修学旅行は、今また「体験中心」という、次の変化を迎えつつあるのかもしれません。
現在の修学旅行
1888年に文部省の規定に初めて名前が現れ、1901年に行軍訓練から見学中心の旅へと姿を変えた修学旅行は、100年以上を経た今も、多くの学校で続けられている行事です。
教室の外に出て、実際にその場所を歩き、見て、感じる。この基本の発想は、修学旅行が生まれた明治の頃から、形を変えながらも受け継がれ続けているといえるでしょう。
新幹線や飛行機を使った旅行が当たり前になった今からは想像しにくいですが、明治・大正期の修学旅行は、徒歩や鉄道を乗り継ぎながらの、体力的にも決して楽ではない旅でした。それでも学校が旅程を組み続けてきたのは、教室では得られない学びが、そこに確かにあると考えられてきたからでしょう。
記憶
旅のしおりを何度も読み返し、班行動の計画を立てた夜。バスの中で友人と過ごした時間や、夜の宿舎でのひととき。修学旅行の記憶は、学んだ知識そのものよりも、そこで過ごした時間の手触りとして残っている人が多いかもしれません。
1888年、師範学校の規則にひっそりと記された「修学旅行」という文字から、今のような学校行事へと育っていくまでには、行軍訓練という意外な側面を経る、長い道のりがありました。
見慣れない土地の匂い、慣れない布団で眠った夜、集合時間に遅れないよう友人と急いだ朝。教室では得られないこうした体験の積み重ねこそが、修学旅行という行事が長く大切にされてきた理由なのかもしれません。ふだんの教室では見られない友人の一面に気づいた人もいるでしょう。旅先での何気ないひとときが、かえって長く記憶に残るというのも、この行事ならではの不思議さです。
戦時中に一度は途絶え、食糧も乏しい戦後すぐに、それでも学校が旅程を組み直してまで再開させようとしたこと。その積み重ねの先に、今わたしたちが知っている修学旅行という行事があります。旅のしおりに記された行程表の向こうには、100年以上にわたって受け継がれてきた、教育への一つの願いが込められているのかもしれません。
文部大臣や国鉄総裁までもが名を連ねて協会が設立されたという事実は、修学旅行が一つの学校の行事にとどまらず、社会全体で支えるべきものと考えられてきたことを物語っています。行き先がどこであれ、そこに込められた「教室の外で学んでほしい」という願いは、明治の昔から変わらず受け継がれてきたのでしょう。
1888年に師範学校の規則の片隅に記された小さな文字から、国を挙げて支える一大行事へ。修学旅行という言葉が歩んできた道のりの大きさを思うと、何気なく手にしていた旅のしおりの重みも、少し違って見えてくるかもしれません。行軍という厳しい響きから始まった旅が、今の私たちが知る、あの楽しい数日間へと姿を変えてきたことを思うと、感慨深いものがあります。次に修学旅行の話題が出たときは、その行程の向こうにある、100年を超える歴史にも、少し思いを馳せてみてはいかがでしょうか。教室では学べない何かを求めて、いつの時代も学校が旅程を組み続けてきたという事実こそが、この行事の本質を物語っているのかもしれません。1888年から今日まで、形を変えながらも受け継がれ続けてきたこの行事は、これからも多くの学校で、新しい世代の記憶に刻まれていくことでしょう。
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これ覚えてる?
学校・地域・年代によって内容は異なります。あなたの記憶と重なるものはありますか?
- 修学旅行の旅のしおりを、何度も読み返したことを覚えていますか?
- 修学旅行で訪れた場所を覚えていますか?
- 班行動や夜の宿舎で過ごした時間を覚えていますか?
出典・注意事項
本ページは、アジア歴史資料センター(国立公文書館・外務省等共同運営)、公益財団法人日本修学旅行協会公式の記載内容をもとに構成しています。行き先の傾向は同協会の継続調査に基づく記述として紹介しており、年度や学校種別の異なる統計を混在させて比較することは行っていません。
ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。