卒業アルバムはいつから?集合写真から冊子型アルバムまでの歴史

公開日:2026年9月10日 更新日:2026年9月12日

卒業アルバムのページをめくり、集合写真を見返す場面のイメージ画像です。特定の学校・人物の再現ではありません。

※AIによるイメージ画像です

クラス写真、運動会、遠足のスナップ。ページをめくるたびに、学校生活の一場面がよみがえる卒業アルバム。

もともとは1枚の集合写真を配るだけの文化だったこのアルバムが、いつ今のような冊子の形になり、どう変わってきたのかをたどります。

卒業アルバムとは?集合写真1枚から始まった記録

卒業アルバムとは、入学から卒業までの学校生活を、個人写真・クラス写真・行事の記録などとともに1冊の冊子にまとめた記念品です。日本で卒業記念に写真を残す習慣は、明治末期から大正時代にかけて始まったと伝えられています。

集合写真1枚を配っていた明治・大正時代

totte.photoの記事によれば、明治末期から大正時代(1868年〜1920年代)は「集合写真の時代」とされ、学校全体や卒業生のクラスが一堂に集まって撮影した集合写真1枚を額に入れたり台紙に貼ったりして配布する形が主流だったとされています。

同記事によれば、1900年頃には東京帝国大学で写真帖が作られた記録も残っているとされ、当時は主に高等教育機関を中心に、卒業を記念する写真の記録が始まっていたとうかがえます。

写真そのものがまだ高価で貴重だった時代、卒業という節目に1枚の記念写真を残すこと自体が特別な出来事でした。

出典:「卒業アルバムとは?歴史・制作の仕組み・価格推移などを解説」

戦前は一部の学校にとどまり、戦時中は制作が止まった

totte.photoの記事によれば、昭和戦前期(1920〜40年代)には、明治大学など一部の高等教育機関で冊子型の卒業アルバムが制作されていましたが、小中学校への普及はまだ進んでいなかったとされています。

さらに太平洋戦争中は、物資不足によってアルバムの制作そのものが停滞していたと伝えられています。

今のように多くの小中学校で当たり前にアルバムが作られるようになるまでには、高等教育機関での取り組みが少しずつ広がり、戦後の落ち着きを待つ必要があったことになります。

卒業アルバムという文化は、決して最初から全国一律で広まったものではなく、限られた学校での取り組みが時間をかけて裾野を広げていったものだったといえます。

出典:「卒業アルバムとは?歴史・制作の仕組み・価格推移などを解説」

戦後の一般化と、冊子型アルバムの定着

第二次世界大戦後には、ほとんどの学校で卒業アルバムを作ることが一般的になっていったと伝えられています。

1960年代には小学校を中心に、個人写真・クラス写真・行事写真を組み合わせた冊子型の卒業アルバムが全国的に広まり、現在のようなクラス写真・行事のスナップ・巻末の年表という構成は、1970年代末頃にはすでに定着していたとされています。

1枚の集合写真から、1年間の学校生活を一冊にまとめる形へと変わっていったことは、写真という技術が身近になり、印刷・製本の仕組みが整っていったこととも関係していると考えられます。

totte.photoの記事によれば、この定着の背景には、印刷技術の向上や写真フィルムの普及に加えて、学校専門に写真を撮影する「スクールフォトグラファー」の登場があったとされています。

学校行事を専門に撮り続ける担い手が現れたことで、1年を通じた記録を1冊にまとめるという今の形が定着しやすくなったと考えられます。

運動会や遠足のような屋外行事は天候や動きの速さに左右されやすく、日常の授業風景も含めて安定して撮影を続けるには、片手間ではない専門の技術と経験が必要だったと考えられます。

出典:「卒業アルバムとは?歴史・制作の仕組み・価格推移などを解説」

学校の校庭でクラス全員が集合写真を撮る場面のイメージ画像です。特定の学校・人物の再現ではありません。
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

誰が、どうやって作っていたのか

卒業アルバムの制作は、学校写真を専門に扱う制作会社が担うことが一般的でした。

株式会社イシクラのように、1936年(昭和11年)創業という古い歴史を持つ卒業アルバム専門の制作会社もあり、1年を通じて学校行事を撮影し、卒業のタイミングに合わせて編集・印刷・製本を行う専門の仕組みが整えられていったとされています。

1年間の行事すべてを撮影し、限られたページ数にまとめる作業は、学校・写真会社・印刷会社が連携する、地道な積み重ねによって成り立っていたと考えられます。

totte.photoの記事によれば、現在の標準的な卒業アルバムは40〜80ページ程度で構成され、表紙・題字に始まり、卒業生一人ひとりの個人写真ページ、担任教師とクラスごとの集合写真、運動会や修学旅行といった行事のページ、授業や日常風景のページ、教職員紹介のページと続く構成が一般的だとされています。

1年間に起きた出来事を、個人・クラス・学年・学校全体という異なる単位で並行して記録するという構成は、限られたページ数の中で多くの児童・生徒それぞれの居場所を残そうとする工夫だったと考えられます。

こうした制作会社を束ねる全国組織も存在します。全日本学校アルバム印刷組合公式によれば、同組合は1950年に「全日本コロタイプ印刷組合」として設立され、1985年に現在の名称へ改称されたといいます。会員数15社・賛助会員23社が加盟する、卒業アルバムづくりを専門とする日本で唯一の業界団体だと紹介されており、1冊の卒業アルバムの裏には、こうした専門会社どうしの横のつながりもあったことがうかがえます。

出典:株式会社イシクラ公式サイト/「卒業アルバムとは?歴史・制作の仕組み・価格推移などを解説」/全日本学校アルバム印刷組合公式サイト「概要」

アルバムの値段は、どう変わってきたか

totte.photoの記事によれば、小学校の卒業アルバムの価格は、1960年代には数百円から1,000円程度だったのに対し、1970年代には1,000円から3,000円程度、1980年代には3,000円から5,000円程度へと、年代を追うごとに上昇してきたとされています。

さらに同記事によれば、1990年代には5,000円から8,000円程度、2000年代には6,000円から10,000円程度となり、その後も上昇傾向が続いているとされています。

この価格上昇の主な要因として、少子化によって1冊あたりの固定費が増えたこと、印刷・製本にかかるコストが上がったこと、撮影費用そのものが増加していることが挙げられており、1冊のアルバムを作るコストの多くが、児童・生徒の人数で分け合う仕組みになっていることがうかがえます。

1クラス・1学年あたりの人数が少ない学校ほど、1人あたりの負担額が大きくなりやすいという構造も、この価格推移の背景にあると考えられます。

出典:「卒業アルバムとは?歴史・制作の仕組み・価格推移などを解説」

卒業文集と、最後のページの寄せ書き

卒業アルバムと並んで親しまれてきたのが「卒業文集」です。児童・生徒一人ひとりが、学校生活の思い出や将来の夢を文章にまとめ、1冊の文集としてまとめる取り組みで、多くの場合、アルバムの巻末や別冊として制作されました。

文集の最後のページに、友人同士でメッセージを書き合う「寄せ書き」の欄が設けられることも多く、卒業間際の教室で、順番にノートやアルバムを回してメッセージを書き合った記憶を持つ人も少なくないはずです。

休み時間や放課後を使って、誰に何を書いてもらうか順番を決めたり、書いてもらったメッセージを友人同士で読み合ったりする時間そのものが、卒業前の学校生活の一部になっていた家庭も多かったと考えられます。

自分の言葉で当時の気持ちを綴った文集は、写真とは異なる形で当時の記憶を書き残す手段になっていたと考えられます。

教室で友人同士が卒業文集に寄せ書きを書き合う場面のイメージ画像です。特定の学校・人物の再現ではありません。
※当時の雰囲気をもとにAIで作成したイメージ画像です

個人情報とデジタル化、変わりゆく今のアルバム

近年、卒業アルバムをめぐる状況は大きく変わってきています。

住所・電話番号の掲載が見直される時代へ

栄光綜合法律事務所の記事によれば、卒業アルバムに記載された住所や電話番号といった個人情報が、勧誘や詐欺などに悪用される例があったことから、一部の学校では、こうした重要な個人情報の掲載可否を児童・生徒本人や保護者の任意選択とする、あるいは全員一律で掲載しないといった対応が取られるようになっているとされています。かつては当たり前だった住所・電話番号の一覧掲載が、今では個人情報保護の観点から見直されており、同窓会の招集などにも影響が及んでいるとも指摘されています。

時代とともに、アルバムに「何を残すか」という基準そのものが変化してきているといえます。

出典:栄光綜合法律事務所「学校の個人情報保護の問題から、第三者提供禁止の範囲について考える」

クラウドとAIが変える、アルバム作りの現場

日本教育新聞電子版の記事によれば、近年はインターネット経由で編集・発注できる「デジタル卒業アルバム」も登場しており、クラウド上の無料テンプレートを使って、専門知識がなくても写真のアップロードやレイアウト編集ができる仕組みが広まりつつあるとされています。

同記事によれば、AIによる顔認識機能を使うことで、教員が手作業で行っていた写真選別にかかる時間が半減するとも報告されており、少子化による1校あたりの制作コスト上昇や、デジタルカメラの普及で選別すべき写真の枚数自体が増えたことが、こうした仕組みが広まる背景にあるとされています。

1年をかけて撮りためた写真を先生や制作会社が手作業で選び、レイアウトしていた工程の一部が、技術によって置き換えられつつあることになります。

動画や音声を加えられる、卒業後も写真を追加できるといった、紙のアルバムにはできない特徴を持つ点も、デジタル版ならではの変化だといえます。

出典:日本教育新聞電子版「デジタル化が加速する卒業アルバム」

災害で失われたアルバムを、もう一度

1冊しかないという卒業アルバムの弱さが、時に大きな問題になったこともあります。よみがえれ卒業アルバム公式によれば、1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災で卒業アルバムを失った人たちから「想い出の詰まった卒業アルバムを取り戻したい」という声が寄せられたことをきっかけに、2011年11月にNPO法人「よみがえれ卒業アルバム」が設立されたといいます。

同法人は、全日本学校アルバム印刷組合など複数の業界団体の協力のもと、誰もが手の届く価格で卒業アルバムを再製できる仕組みを整え、災害や紛失で失われたアルバムの再製を支援する活動を続けているとされています。1冊きりの記録だからこそ、それを失った人たちのために手を差し伸べる仕組みが、業界の側から生まれていたことになります。

出典:特定非営利活動法人よみがえれ卒業アルバム公式サイト「よみがえれ卒業アルバムとは」/全日本学校アルバム印刷組合公式サイト「概要」

1冊にまとめられた、学校生活の記憶

運動会で真剣な表情をしている自分、給食の時間にふざけ合う友人たち、遠足のバスの中で撮られた1枚。卒業アルバムには、本人も忘れていたような一瞬一瞬が写り込んでいます。

大人になってから久しぶりにページを開くと、当時の教室の匂いや友人の声まで思い出すという人も多いのではないでしょうか。

自分の個人写真のページで、当時気に入っていた表情や角度を今見返すと気恥ずかしく感じたり、逆にクラス写真の中で誰がどこに立っていたかを指でたどりながら名前を思い出そうとしたりすることも、卒業アルバムならではの楽しみ方です。

卒業アルバムは、単なる記録写真集ではなく、その学年・そのクラスでしか共有できなかった時間をひとつの形に残す、特別な1冊です。

集合写真1枚から始まり、個人写真・行事・寄せ書きを重ねながら厚みを増していったこの1冊が、失われたときには再びつくり直そうとする人たちがいるほど大切にされてきたことも、卒業アルバムという存在の重さを物語っています。

あわせて読みたい

同じ頃の学校生活の記憶は昭和の給食の記憶、通学の記憶はランドセルの歴史でもたどれます。

あなたが子どもの頃の卒業アルバムは?

生まれ年を選ぶと、あなたが子どもだった頃の年代・年齢帯にまつわるページへのリンクを表示します。

生まれ年の入力方法

これ覚えてる?

学校・地域・年代によって内容は異なります。あなたの記憶と重なるものはありますか?

  • 卒業アルバムを最近見返したことはありますか?
  • 卒業文集に将来の夢を書いた記憶はありますか?
  • 友人同士で寄せ書きをし合った記憶はありますか?

出典・注意事項

本ページは、totte.photo、株式会社イシクラ公式サイト、全日本学校アルバム印刷組合公式サイト、特定非営利活動法人よみがえれ卒業アルバム公式サイト、栄光綜合法律事務所、日本教育新聞電子版の記事をもとに構成しています。個別の情報については、各見出しに出典を明記しています。卒業文集そのものの起源年については確実な裏付けが得られなかったため、断定的な年代の記載は避けています。

ページ内のイメージ画像はAIによるものであり、特定の人物・場所・年代を再現した実際の写真ではありません。